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地球が滅びる時、人をどう終える。

小説を読み漁る中で、2年前に出会った。
小説家:凪良ゆうさん。
人生の夏休みを迎えた直後、本屋をふらついていると一際目を引く表紙を見つけた。
(あ。凪良ゆうさんの新作が出てる。)
『滅びの前のシャングリラ』
表紙には、白い花と緑葉で目隠しされた赤子の姿。
そしてシンプルに飾られた銀のスプーン。
これは、読まねばならぬ。
手が伸び、気づくとお会計を済ませていた。

あらすじ(ネタバレ含むかと思いますので、苦手な方はご遠慮ください。)
「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」。
学校でいじめを受ける息子。人を殺したヤクザ。恋人から逃げ出した女。全てを手に入れ、嘘を纏ったスター。荒廃していく世界の中で、人生をうまく生きられなかった人々は、最後の時までをどう過ごすのか。(抜粋、引用)

世界滅亡に関する小説は、これまでにも何冊か読んだことがある。
そして、現実にもノストラダムスの大予言やマヤ文明の予言が、かなり流行っていた時期があった。
自分も、興味津々でそのような著書や、番組などを熱心に調べ漁っていた頃があり、そう言う部類に属した文章を読むのを好んでいた。
凪良ゆうさんの本を手にするのは、これで2冊目。
前回読んだ『流浪の月』とは、また違う感触。
静寂な海に、突如ドス黒い渦が発生し、全てを飲み込んでいくような感覚でページを捲り続けた。
他人の人生を、投げつけられたような、それでいて自分や周囲の人間の考えていることを押し付けられるような。

「地球が滅びる」
突然ではなく、余命宣告されたら、自分はどのような行動に出るだろうか?
以前までは、そのような問いをされた際には、
「今ある貯金を使い果たし、好きなことをしまくる!」と誓っていたが、『滅びの前のシャングリラ』に描かれた日本全土の様子が、もし現実となったら、そんな悠長なことは言ってられんな、と考えた。

現在の日本は、戦後、異常なほどに礼儀正しく振る舞っているように感じる。
法律、規律、規則、様々な場所で様々なルール設定がされて、人間は守られている。
果たしてそうだろうか?
自分は、ふとした習慣に疑問を浮かべる時がある。
こんなんでいいのか?と、時折息苦しく、生きにくさがチラつく。
考えすぎても終わりは見えないので、とりあえず宇宙をひっぱりだす。
そうすれば、宇宙って結局なんだ?よくわからん!やーめた。と放棄できるから。

小説の中で描かれる、日本全土の異常事態。
この世で1番恐ろしいのは、人間であると改めて痛感した。
身勝手な人間の行いにより、絶滅しなくてもよかった生物が消え去る。
人間の住みやすさを重視したばかりに、凶暴化した動物たちが食を求めて街を荒らす。
それを見た人間達は、生物、動物に傷を負わせられたと叫び苦しむ。
しかし野生動物たちをそうさせたのは人間である。
同時に、丁寧に躾、飼い慣らし、あらゆる名付けをしてしまったのも人間。
本当に恐ろしい。

小説中のある青年の発言。
「罰やとしたら、俺ら、どんな悪いことしたんやろう」
「俺らって単に気持ちいいか悪いだけで他の生き物殺しまくってねんな。それに環境も破壊しとる。今、気持ちよう過ごすために、未来の子供らの首をじわじわ締めてるねんで、ておかんは言いよんねん」
この言葉が、自分の中に浸透してしまった。

神はいるのか、いないのか。
それは、もはやどうでもよい。
今目の前に存在するもの。
それが今、自分達が向き合うものである。

この世に生まれ落ちて、人間としての生を謳歌するにあたり、成長過程で価値観を作り上げる。
その過程の中で、何かしらの関係が繋がり仕組みを覚える。
少しずつ増やした人生のピースを、一つずつ当てはめていく。
本来であれば、死際に全てのピースを揃えて、パズルを完成させたい。
そう。
パズルを完成させたいだけ。
気の向くままに。

この世にある全ての縛りが、世の中を良くするとは限らないし、その中でもがき苦しんでいる人たちがいることと向き合わせてくれた、そんな作品であった。

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