ガザ戦争とハーバードと私①
ちょうど1年前の10月7日、ハマスがイスラエルに対して大規模な奇襲攻撃を実行した。イスラエル人250人以上が命を落とし、多くの負傷者・人質が出た。
その直後、イスラエル側の報復攻撃が始まった。
パレスチナの死者数は、すぐにイスラエルのそれに並んだ。
7日の朝、ボストンの自宅でこのニュースを見た私は、しばらくニュースを追いかけた後、ため息とともに「始まってしまった」とつぶやいた。戦争がまた生まれてしまった(再燃してしまった、というべきか)。
しかし、このハマス-イスラエルの戦争は、その当時の私が全く想像もしていなかったかたちで、その後、私の学ぶハーバード大学に飛び火してきたのだった。
ここでは、ハーバードでの最初の1年間をこの戦争とともに過ごした私の視点から、この1年間で起きた様々な「戦争」について、忘れないように振り返っておきたいと思う。(あまりにも長くなったので、記事を2回に分けることにした)
1. 戦争に飲み込まれる
10月7日の奇襲攻撃の後、最初の登校日は休み明けの10月10日だった。
この日のキャンパスには、いつもと違う空気が流れていたことをよく覚えている。
この頃には、既にイスラエルによる大規模な空爆が始まり、ガザでは既にイスラエルの倍の死傷者が出ていた。
皆がこの状況に心を痛めていた。この時はまだ、「どちらの側に」ということもなく、純粋に多くの死者が出ているという現実に、皆苦しんでいた。
大学側もそうだった。10月9日から連日学生にメールが届き、「辛いことがあったらすぐに連絡するように」「この状況をもっと深く理解できるようにセミナーを開くことにしたからもう少し待ってくれ」といった長文メッセージが届いた。
誰も「話せない」
しかし、その程度だった。学生たちの間で、どちらかを表立って非難する、糾弾する、という動きは、まだ(水面下でしか)生まれていなかった。自分を含む多くの学生は、そもそもこの件について話すに「話せなかった」。
ハーバードには、ムスリムの学生も、イスラエル人・ユダヤ人の学生も多く在籍している。彼ら/彼女らには双方に言い分があり、衝撃があり、怒りがあった。
そして彼ら/彼女らは私たちのクラスメイトでもあった。ムスリムの学生とイスラエルの学生が一緒の場にいたら、自分は一体どんな話をすればいいんだろうか。そもそもこの話をして辛く感じないだろうか。そんな思いが、学生たちの多くを黙らせた。
話せなかった。
こんな時に「学ぶ意味」があるのか
それでも淡々と進む日常や授業に、やや引っ張ってもらっているような感覚さえ覚えながら、日々を過ごしていた。常にこの戦争のことを考えて生活していたなどと言うつもりは全くない。客観的に見れば「普通に」学校生活を送っていたように思う。
それでも、時折この戦争に思いを馳せるたび、どうしようもない無力感に襲われていた。(そしてそれは今でも、度々感じる)
そんな自分には、一人の教授の言葉が、心に残ったのを覚えている。
2. 「大学 vs 寄付者」という新たな戦争
奇襲攻撃から1週間ほど経ったタイミングで、中東の戦争は(少なくとも私は)思いもしなかったかたちで、ハーバード大学に飛び火し始めることとなる。
発端となったのは、奇襲攻撃の直後に、親パレスチナの学生団体が連名で発表した声明だった。
33の学生団体によって発出されたこの声明では、ガザを「天井のない監獄」と呼びつつ、ハマスが同日に仕掛けた襲撃は「脈絡なく起きたことではない」とし、「責めを負うべきなのは(イスラエルの)アパルトヘイト(人種隔離)体制だけだ」などと訴えた。そして、今回の暴力はイスラエル側に「全面的に責任がある」と断じたのだった。
これに、非常に強く反発したのが、ハーバード大学に多額の寄付をしている富豪たちだった。口火を切ったのは、私が通うケネディスクールに多額の寄付をしてきたウェクスナーだった。
彼の財団は過去に70億円以上をハーバードに寄付してきたユダヤ系の大口ドナーである。特に、ケネディスクールに対しては毎年イスラエル人10名に奨学金を出している上に、キャンパスのメインの建物にもWexnerと名が付いている。
彼は、学生たちの声明に反発するだけに留まらなかった。大学にも批判の矛先を向け「こんなことを言う学生たちをなぜ放っておくのか。ハーバード大学は差別を助長するのか」と糾弾した。
この他にも、(後々登場する)ユダヤ系投資家のビルアックマンは、「この声明に署名した学生は自分のファンドで採用しない」と宣言するなど、ユダヤ系寄付者の反発は広がっていった。
一方大学側は、ここでは強気な対応を取らなかった。「どんな言説にも表現の自由は保障される」と言論の自由を表明し、ウェクスナーをはじめとした寄付者の期待を満たすことはなかった。
その結果、ウェクスナーは「それなら寄付を引き上げるぞ」と大学を脅した。
ここに、「大学 vs 寄付者」という新たな戦争の構図が生まれたのだった。
ユダヤ系寄付者の圧力
なぜ中東の戦争に関する一大学の学生運動に、アメリカの富豪がここまで関与するのだろうか。
そこには、アメリカの大学に対するユダヤ系の多大なる影響力が関係している。
アメリカの大学は、毎年とてつもない額の寄付を受け入れている。ハーバードはその中でも特に寄付金が多く、例年一千億円を超える寄付が集まる。日本の大学ではせいぜい数十~数百億円である。
そして、これらの寄付者の多くを占めるのが、ユダヤ系アメリカ人である。
彼らは信頼のおける大学や研究機関に対し、多額の寄付をすることで、その大学の発展を促し、同時に自らの名前も残す(時に自分の親族を入学させる:レガシー入試)。
それが良くあらわれているのが、私の通うハーバードケネディスクールだろう。メインキャンパスの建物にはエリアによって6つほど異なる名前がついているが、そのほぼ全てがウェクスナー含むユダヤ系の寄付者の名前を冠している。
ユダヤ系アメリカ人は、イスラエルへの親近感が強い(場合が多い)。だからこそ、今回のハマスの攻撃に非常に憤慨したのであり、その対応を徹底しない大学には、「寄付金」の撤退をちらつかせることで、圧力をかけるのである。
この「寄付者のロジック」は、ある種極めて明快である。
米大学のジレンマ
一方で、大学側の利害関係は複雑である。寄付者のご機嫌を取っていればいいわけではない。少なくとも3つの利害が、大学をジレンマに陥れる。
親イスラエルの大口ドナーに配慮することで、明確にイスラエルの侵攻を非難できない
反イスラエルの学生団体の声明は極めて過激だが、学生の表現の自由は奪えない
ユダヤ人・アラブ人の学生たちの安全を守るため、極端にどちらかのサイドに立つ発言はできない
特に3. の学生を保護する重要性は当時日に日に高まっていた。
ハマスの攻撃当初は親イスラエルの声が優勢だった大学キャンパスも、イスラエルの無差別空爆が続く中で徐々に親パレスチナの声が優勢になっていった。
もちろん、親パレスチナは必ずしも反イスラエルを意味しない。しかし、それでもイスラエルの学生たちが安心できない生活を送っていたのは確かだろう。実際にこのタイミングで、ハーバード大学の周辺でも大規模な親パレスチナの学生デモ行進も始まり、一部学生が過激な言動に出ることもあった。
このようなジレンマの中で、結果的にアメリカの大学の多くは、ユダヤ系寄付者の要求へと傾いていくことになる。
私がこの頃ハーバードから受け取ったメールの多くには、「反ユダヤ主義に立ち向かう」の文字はあっても、「反アラブ主義に立ち向かう」の文字はなかった。
特定の信条を持つ寄付者に頼って成長してきたアメリカの大学は、今回の戦争を機にその代償を払うことになった、と私は思っている。
3. 「大学 vs 政治家」という新たな戦争
しかし、大学を批判したのは寄付者だけに留まらなかった。
12月上旬、アメリカ議会の公聴会にトップ大学の学長たちが召喚された。
ここで、ハーバード大学、ペンシルバニア大学、MITの学長たちは、議員たちから徹底的に非難を受けることになる。
アメリカの政治というのは、我々が想像する以上に、ユダヤ系(あるいは親イスラエル)によって牛耳られている。議員そのものがユダヤ系の出自であることも多いが、それ以上に、「イスラエル・ロビー」と呼ばれるロビイングの影響は、見過ごすことができないほど大きい。
ユダヤ系の団体は毎年非常に多くの資金を政治献金に充てており、これがバイデンもトランプもハリスも、誰も公然とイスラエルを批判しない(できない)要因の一つであることは言うまでもない。
そのアメリカの政治家たちに、学長が呼ばれたのだから、その意味は一つしかない。「大学で広がる反ユダヤ主義を許すな」というメッセージである。決して「差別を許すな」ではない。「反ユダヤ主義を許すな」なのである。
「文脈による」の罠
そしてこの公聴会でのハーバード大学学長の発言は、その後の大きなハーバード大学批判へとつながっていく。
大学の抱える大きなジレンマとして、差別を許してはいけない一方で、学生たちの「表現の自由」は担保しなくてはならない、という点がある。やや過激な発言であっても、学生たちの声を抑制することには極めて慎重にならなくてはならないのである。
その思いがあってか、公聴会におけるゲイ学長の回答は、極めてあいまいなものが多かった。物凄い剣幕でまくしたてる議員に対して、「たとえ学生がデモの中で攻撃的なスピーチを行っても、それが行動に表れない限りは、表現の自由を尊重する」という答弁を繰り返した。
その中で、学長は明らかなミスを犯してしまう。
「ユダヤ人を虐殺し、ホロコーストを呼び掛けるスピーチは、大学の行動規範に違反するか?」という質問が投げかけられた際、ゲイ学長は「それは文脈によります」と回答してしまう。(1:26~)
これは明らかに間違いだった。いくらスピーチであるとはいえ、ホロコーストの呼びかけなどが許されるはずがない。(もし「行動に移すまでは罪でない」とするなら、虐殺が実際に起こるのを静観することになるからだ)
恐らく、冷静に考えれば彼女自身もそのことは理解できたはずだ。しかし、その場の緊迫した雰囲気や答弁への不慣れさ(彼女は学長に就任したばかりだった)などから、「文脈による」という答弁を繰り返してしまった。
この答弁が、これから数か月にわたって続く大規模なハーバード大学への批判につながっていった。
寄付者の怒り、再燃
この答弁を聞いたユダヤ系寄付者は、当然憤慨した。そして、学長に対して辞任を要求しはじめた。
最初に辞任したのは、ペンシルバニア大学の学長だった。彼女もゲイ学長と同様に、「文脈による」の答弁を行った本人だった。
たった一つの答弁でこんなに簡単に学長は辞任させられてしまうのか、と私は驚いたのを覚えている。
一方、ハーバード大学のゲイ学長は、自身の過ちを認めた上で、辞任することは否定した。就任したてでまだ何も成し遂げていないゲイ学長にとって、辞任というのはそう簡単な決断ではなかっただろう。
しかし、議員や寄付者たちは批判の手を決して緩めることはなかった。
4. 「学長 vs ユダヤ系」という新たな戦争
辞任する様子がない学長を見た寄付者たちは、ここから全く予想のつかないかたちで、学長への個人的な攻撃をはじめ、最終的に学長を辞任に追い込むことになる。
「この学長は素質に問題がある」
批判者の急先鋒だった大富豪、ビル・アックマンは、学長のアカデミックな素質に疑問を呈し始めた。ゲイ学長がこれまでに発表した論文を調べ上げ、1997年に発表した論文に「剽窃」と思われる個所があることを殊更に取り上げた。
この剽窃は論文の主張に関わる部分ではなく、言ってしまえば些末な部分だったわけだが、剽窃は剽窃である。ゲイ学長はこの批判を受け、論文を訂正することになる。
それを受けて一層、寄付者・政治家たちの辞任を求める声は高まっていた。
「この学長はDEIの暴走である」
ここで、批判者のビルアックマンはとんでもない主張を繰り出す。
「このようなアカデミックな素質に問題がある人物が学長になるというのは到底信じられない。多様性、多様性というが、この人物は多様性が暴走した結果ではないか」と、DEI(多様性・公平性・包括性)を引き合いに出して学長の批判を始めたのだった。
ゲイ学長は黒人女性である。ハーバード大学の歴史で初めて、黒人女性が学長になった事例でもあった。ビルアックマンはこれを、「黒人女性だから能力がないのに学長になったのだろう」と批判したのである。
そして、積み重なるこれらの批判に晒された結果、ついに公聴会から1か月後の2024年初めに、ゲイ学長は辞任を決めることになる。1月2日の昼にボストンで彼女から"Personal News"と題されたメールが届いた時、私は彼女が辞任することを悟った。
私は、正直この一連の流れに、ある種の狂気のようなものを感じた。
「言論の自由」と「学生の保護」の議論だったはずが、いつの間にか、学長の能力・属性批判へとすり替わっていたからである。
全く関係のない学長の一属性が、完全に「政治化」されてしまった、保守層のスケープゴートになってしまった。そう感じた。
(このポストが引用しているビルアックマンのポストを開いてみてほしい。あまりの長さに驚くと思う。「何が」彼をここまで駆り立てたのだろうか)
「寄付」のリスク
同時に、私は「一体寄付者とは何なのだろうか」と思わずにはいられなかった。その大学に貢献したいからと寄付をしたはずなのに、大学が思った通りの行動をしないとお金を引き上げ、トップを袋叩きにする。
さらにアックマンにいたっては、ゲイ学長の辞任後も、理事全員の辞任を要求したり、次期学長の選定に口を出したりと、本業のアクティビストさながらの行動を続けていた。
「寄付」が「所有」と混同されてはいないか?私は危機感を覚えずにはいられなかった。
そして、これまで米大学が取ってきた「大口寄付に頼る」という戦略は、「中立性を失う」という大きなリスクが伴う戦略であることも、改めて感じたのだった。
中立性を失った大学で、一体誰が学びたいと思うだろうか。
さて、学長の辞任によって、長い争いに一幕。
となるわけもなく、学長の辞任後、今度は「学生 vs 大学」という新たな戦争が芽吹いていくのだった。
「ガザ戦争とハーバードと私②」につづく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?