【妄想を爆発させよう(未来は失われたのか?)】

※この文章には「鬼滅の刃」「エヴァンゲリオンシリーズ」「進撃の巨人」のネタバレがあります。ご注意ください。


SF作家、樋口恭介氏の「未来は予測するものではない、創造するものだ」を読んでいた。この本は最近、話題になりつつあるSFプロトタイピングをテーマにしたもので、非常に楽しいものだった。

その本の中で本筋にかかわる内容では無かったのだが、少し気になる記述があった。今の技術者の中には、過去に自分たちが観てきた未来を描いたSF作品「ドラえもん」「機動戦士ガンダム」「バックトゥザフューチャー」を現実にするために働いている人が多くいるらしい。

自分が幼少のときに慣れ楽しんだ未来を描いた作品を形にしたい。それがモチベーションになっているようだ。

私はそこで一つ気になったことがあった。

昨年や今年は日本でも有数の超人気大作が完結を迎えた。
「鬼滅の刃」「エヴァンゲリオン」「進撃の巨人」といった作品だ。
興味深いことに、これらの作品はそれぞれ独立した作品であるにも関わらず、近しい終わり方をしたのだ。

それは全て「現代の我々がいま生活している世界に主人公やその生まれ変わりたち」が生きていくという終わり方だ。

作品の主人公たちはそれぞれの時代や世界で自らの運命に挑み、
その宿命や闘争から解放され、我々の住むこの世界で共に生きている。
そんな終わり方だった。

このことを批判したいわけではない、どれも私に大事なことを教え
生きる勇気や力を与えてくれた作品だ。

ただこの終わり方はこう言われた気もした。
「いま自分が住む世界、その世界以外に代案は無い、この現実で生きるしかない」フィクションはその先の未来、我々がたどり着けるかもしれない
ユートピアを提示できなくなったのだろうか?(もしくは世間に受けなくなってしまったのだろうか?)

未来とはワクワクし楽しみにするものであるはず、
だが今なお、来るべき未来は「AKIRA」や「バックトゥザフューチャー」
の未来で止まっている。

歌にあるように未来は想像よりずっと現実的なのかもしれない。

ここで大げさにもこう感じた。未来は失われたのか?と
少なくとも今ここ以外の未来を提示したり想像することが
難しい世界になってきているのかもしれない。

今の自分は明確な答えを持ち得ない。
ただ、「妄想を止めず、世に何らかの形で出す」
ということが重要なのではないか?と思う。

陳腐かつ抽象的な言葉だが、
自分の中にある可能性を抽出して世に出す。

音楽でも絵でも動画でも文章でも何でもいい。
非生産的とされることを思考し
妄想を続けることが必要だ。

それがいつしか世界を変えるかもしれない。

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