ベートーヴェンを毎日聴く100(2020年4月9日)
『ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」op.72』を聴いた。
ベートーヴェンが唯一残したオペラ「フィデリオ」。
先の「レオノーレ序曲 第2番」でも触れたが、一番最初は「レオノーレ」と題されていた。
しかし、1805年の初演は失敗。その後、1806年に改訂版で再び初演する。
しかしながら、これも好評とはならなくて、早々に上演が打ち切られてしまった。
1814に再び上演されることが決まると、ベートーヴェンは再度改定に取り掛かり、ついにそれが成功する。
足かけ10年を超えて、執念のように取り組んでようやく認められることになった作品なのである。
ベートーヴェン作品としてはこのような道を歩んだ作品は珍しい。やはりオペラの作曲は難しいのだ。
最初の失敗した版は、観客がナポレオン戦争で進駐してきたドイツ語を解さないフランス兵が大半の観客だったから、という理由もある。それに加えて、ベートーヴェンなりの理想を多く詰め込んで作ったため、上演時間が長くなったのが裏目にでたということも言えるだろう。
紆余曲折の副産物ではないが、序曲が4つも存在する特異さも、ベートーヴェンらしいのでは(「レオノーレ」序曲第1番、第2番、第3番、そして「フィデリオ」序曲)。
もし最初の段階で成功していたら、もっとオペラを生み出していたかもしれない。
「レオノーレ」も「フィデリオ」も登場人物の名前だが、実は同一人物。なのでオペラの題名はどちらでもいいのかもしれないが、ベートーヴェンは「レオノーレ」としたかったところ、上演側は「フィデリオ」で押し切ったようだ。「レオノーレ」が失敗したというトラウマからの解放を願ったのかもしれない。
幽閉された夫「フロレスタン」を救うため、妻「レオノーレ」は男装して「フィデリオ」と名乗りその機会を伺う。
理由なき罪を着せられ、幽閉されている夫を、妻が救出する。このようなテーマは、ベートーヴェンが理想とした自由への開放や博愛につながるテーマである。
ちょっとお堅いテーマかもしれないが、その裏では登場人物における恋も進んで行く。
第1幕の4重唱。フィデリオに恋するマルツェリーネの喜び、それに困る様子のフィデリオ、その様子を愉しみに見るマルツェリーネの父ロッコ、マルツェリーネへの思いが届かずがっかりするハキーノ。ベートーヴェン的ではない雰囲気なのだが、とても魅力的な曲になっている。
(記:2020年12月5日)