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若いうちに外の世界を見ておく大切さ。「十五の夏」(佐藤優:著)を読む

「十五の夏」(佐藤優:著)
政治や国際関係、宗教などの著書が多い著者の旅行記。長編だが、ワクワクしながら一気読みしてしまった。

まだ東西冷戦の真っ最中だった1975年。高校1年生が、たったひとりで東欧諸国を旅するなんて、想像もできないようなことである。

著者は私と10も違わない年上だが、もし、私が高校1年生の時に「高校合格のご褒美として海外旅行へ行ってもいいよ」と言われても、東欧諸国はきっと選ばなかっただろう。

鉄のカーテンの向こうからは、まだ多くの情報が伝わらず、統制されて自由が無くて、環境も良くなくて、恐ろしい、というイメージが中心で語られていたエリアである。住むのも不自由だと思われるところに、旅行で訪れるという選択肢は浮かんでこない。

この本を読んで驚いたのは、思っていたよりも、かなり楽に旅行ができのだ、ということ。ただ、事前の計画準備は時間がかかって大変であり、もちろん、旅行中は今のように好き勝手、自由にあちこちは行けず、予めすべての行程をちゃんと決めておいて、現地ではその時間にガイドと車が手配される。つまり管理下に置かれるということだが、ガイドを伴って車で移動すれば楽ではあるし、決まった場所以外にもオプション的に当日「どこに行きたいか?」ということを聞いて、可能であれば連れて行ってもくれる。西側の外国人は特例で航空機の席もよく、利用ホテルもグレードが高い。

もちろん、飛行機が飛ばないなど、すべてがスムーズというわけではないが、それは旅には付き物である。その場合も現地は対応をしてくれる。

とても臨場感あふれる文章は、自分がその場所に一緒に付いていっているような感覚を覚える。街の雰囲気や景色、人々の様子に食べ物。それが余計に、当時の鉄のカーテンの向こう側を、これまで抱いていたより、近い存在にしてくれた。

怖いものなし、の若者は、あふれる興味の中、旅程をこなしていくが、時折見せる寂しくて涙する姿はやはり15歳の少年。私も初めてのひとり海外旅行の時は、そういう感情がふと訪れたことを思い出した。

『旅行から帰って、僕は確かに変わった。』

高校がつまらなくなり、早く大学生になりたいと思い、授業とは別にさまざまな講座を受けて知への渇望を潤していく。

著者のこの貴重な経験が、彼の進路を決定的にしたのであり、同志社大学神学部へ入学し、外務省ではソ連の日本大使館や国際情報局などに勤めることになる。

若いうちに外の世界を見ておくと、後でそれは必ず生きる。それがきっかけで自分の本当に好きなことが見つかるかもしれない。

日本では体験できない様々なこと、その国ならではの歴史文化、人々の生活や考え方。鉄のカーテン時代ではない、家に居ながらインターネットでつながる今の時代でさえも、現地を訪れないと正確な情報はわからないし、自分で体験して初めてわかることで、自分が持っていたイメージは大きく変わる。

今は海外へ出向くことは困難であるが、日本の何処かであっても、近所であっても、知らないことはまだまだ多いはずである。

本当に好きなことをして食べていけない人を見たことが無い。但し、中途半端に好きではなく、本当に好きなことを。

激変する環境において、何が正解になるのかもわからない世界。

結局は、自分が熱く打ち込める、心から好きだと思えることを見つけて、それを軸として持っておくこと。

自分の好きなことに没頭して追い求めていくこと。私はもう若くはないが、この先も、それでいいのだ、とこの本は再認識させてくれた。

足を踏み入れていないロシアや中央アジア地域には、いつか旅してみたい。

Oleg ShakurovによるPixabayからの画像

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