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「この、妖怪胡麻とうふめ。」と今朝夫に言われた話。

誰にだって好物はあるはずだ。
もちろん私にもある。あの運命の出会いは初めて高野山の精進料理を食べに行った時のことだ。まだ25か26くらいの頃にだった。ちなみに現在の夫とデートで訪れた店でのことになる。

見たことのないものが小鉢に控えめにちょこんと乗っている、横目に警戒していると夫が「胡麻とうふだよ、県外出身者は、はじめてかもしれないね」そうかお豆腐なのか、そう思って口に入れた瞬間、珍しい色のプルンとした弾力のあるお豆腐に脳が痺れた。なんだこれは…とかっと目を見開いて「美味しいっ!」と声に出してしまった。そんなに気に行ったなら僕のもどうぞと空の小鉢と交換されて2度も食べてしまった。

和歌山に来て以来美味しいものに出会うことが本当に増えた。居酒屋での定番の突き出し料理のガンガラやナガレコは地元の友達には伝わらない。ガンガラに至っては「完全にヤドカリやんけ…」とすら思っていた。つまようじでクルリンと器用にほじくり出してウマいよ?という和歌山出身の同期の発言を疑いながら勇気を出して食べると本当に美味しかった。この土地は海の幸が美味しい、みんな海鮮物にはなかなかのグルメさんだった。異業種交流会で出された刺身がなんか古くね?と酷評されていても、私は何を食べても美味しいとしか思っていなかった。

話が逸れてしまったが、高野山の修行僧はこれを栄養源に修行しているのだなぁとしみじみ思ってしまった瞬間だった。調べてみると作るのも手間暇かかる、だがそれも修行なのだと感じる。

会計の時、持ち帰り販売があったので10個買って帰った。
若干、夫は引いていた。そしてすぐさまスマホで近隣の店で胡麻とうふが帰る店がないか調べ、3つの店舗を回り買って帰った。結構日持ちするので、食べ比べをして今度からお気に入りの店を決めるためだった、独占もいいところだ。欲を落としに奥の院までお参りに来たのに逆に欲深くなってアパートに帰宅した。多くの戦国武将のお墓に手を合わせ、本堂の煙を浴びて穢れを落としたというのに。なんたる強欲さ。

それからというもの胡麻とうふの起源を調べまくった。もともとは中国の精進料理だそうだ。食は万里を越える。仕事(修行)で怒られることが多かった日々だったが、家に帰れば冷蔵庫には可愛い可愛い胡麻とうふが待っていると思えば全然平気だった。

感情的な先輩にボールペンをダーツのように私の後ろのカレンダーめがけて投げれられたり、半日近く懇々と詰められたり、たまたま近くにあった段ボールを蹴られて威嚇されながら怒られても割と素直に謝れた。社会人とはそうゆうものだと勘違いしていた。今考えても普通にパワハラだ。その時いた部署は一目に着きにくいプレパブの一角だったため、時々そうゆう事案が起きた。
身の危険を感じた私は家電量販店に行き胸ポケットに挿してツマミを上げるだけで録音が出来るボイスレコーダーを購入して身に着けていた。いつか逆にこの録音データを証拠としてダーツ先輩を社会的に刺すために。仕事柄スーツかポロシャツのポケットはボールペンでパンパンなので1本異物が増えたところで怪しまれなかった。

なるべく上手くやるために、朝礼を済ませたら出来るだけ他部署でする仕事をその場でこなしていくために、PCを持ったまま移動し仕事をしていた。書類作成はどこでも出来る。住所や電話番号の基本情報は朝に一度見れば覚えられた。最終的に提出時に一応確認していたが間違っていることはなかった。あの時ほど記憶力が良かった時はない。ダーツ先輩と同じ空間にいたくないがために、そう…逃げるために私は頭の中ですら変化させた。胡麻とうふパワーかもしれない。時にはこんな逃げも大切。こうして乗りきっていった。

あと本気でいつでも辞めてもいいとも思っていた。私たち同期で同じ資格を持つ友人たちは、同じところに留まっていると逆に何か問題があって他で雇ってもらえないんちゃう?という穿った見方をする噂が立つとすら聞く。渡り鳥のように働く場所や分野を変えられるそれくらい潰しの効く資格なのだ。

高野山に話を戻そう。
あの日、何店舗か買って帰ったなかでも一番のお気に入りは『角濱のごまとうふ』だった。(忖度なし)同じく和歌山で醤油で有名な湯浅醤油の小パックを大胆に封入してくれている太っ腹っぷり。だけど私は何もかけずに食べるのが好きだった。あの弾力に広がる優しい胡麻の風味に夢中だった。でも醤油自身が爆裂に美味しい醤油なので、半分そのまま、半分お醤油で頂いていた。

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なんと実は先日、友人からその角濱のごまとうふを頂いたのだ。もうね、あの紙袋は私にとって神袋。関西人が電車の道行くなか551の肉まんの袋を見かけるといいなぁと思うような感覚に近い。見覚えのあるモノクロの控えめのデザインの神袋に緑の洗練された高級感のある宝箱に「うひゃぁぁ~!!」とテンションがブチ上がる。
あれ?胡麻とうふが好物だって言ったっけ?と胸に手を当てて考えてみる。もう心の中は狂喜乱舞だった。その節は本当にありがとうございました。

独身時代には高野山には京奈和道が出来たおかげで比較的簡単に行けていたし、特に法話が好きな私は年に4回は行っていた。お茶を頂き姿勢を正して静かに耳を傾けるあの時間は幸福そのものだった、付き合わされる夫は毎回正座が出来なくて辛そうだった。ものの30分くらいであぐらをかく。軟弱者め…と心の中で思いながらも、剣道や武道の経験がなければそんなものかとも思えた。

子どもが産まれてからは一度も行けていない。まだまだ抱っこをせがむ年頃に奥の院の2㎞の道程は厳しい。でも今年こそはあの美しい紅葉を家族で見にいきたい。あの独特の荘厳な空気感で身体が清められる感覚を味わいたい。たくさんのお墓にはユニークなものも混じっているのも見せてあげたい。

ちなみに私は茶道も嗜んだことはないが、正座だけは何時間でも出来る、コツがあるのだ。体重移動させるだけ、あと胸は出来るだけ張り猫背にならないこと、親指を時々左右で上下に入れ替えるだけだ。あと体重も関係してくる印象がある。

剣道の師範の話の振り返りの話の時には絶対に姿勢は崩してはいけないし目もそらしてはいけない瞬きすら惜しい。
時代のせいもあったが、ちょっとでも動こうもんなら、気が弛んでいると見なされ、防具なしで面の寸止めを脅しでくらったり、練習用の短い竹刀で肩をシバかれたりする。今思うと手元がくるって頭に直撃したら大問題に発展しそうだ、絶対割れる、脳震盪は不可避だろう。スイカ割りに恐怖を感じる私は本能的に何かを叩くのが怖い。

さて高野山を満喫した後には、毎回帰りには角濱さんの本店に行き、胡麻とうふを購入し、後生大事に抱えて帰るのだ、しかしそんなに頻繁に角濱様の胡麻とうふを買っていては家計は破綻してしまう。何度か通販にも手を出したが癖になってしまう。近所のスーパーで時々売られているのを見かけては買い占める妖怪胡麻とうふ。その近所のスーパーですら売られていない時の方が多い。豆腐コーナーや物産展コーナーでは必ずチェックしている。

毎日でも食べたい。欲望は止まらないのだ。
そんな時におうちで簡単!というレシピを発見した。
まさか自作出来るとは…修行僧になった気分で作ろう、私は決心した。



お家で簡単に作ることができる、簡単ごま豆腐のレシピです。
片栗粉を使っているので、手軽に挑戦することができます。
無調整の豆乳と白ねりごまの風味が濃厚で、わさび醤油と相性抜群。
献立にもう一品欲しいときや、お酒のおつまみに作ってみてはいかがでしょうか。と書かれてあった。

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作り方
1. ボウルに入れてよく混ぜ合わせます。
2. 鍋に片栗粉大匙3、白練り胡麻2、無調整豆乳300mlを入れ、弱火で加熱しながら絶えずかき混ぜます。
3. 生地がまとまってきたら火からおろし、濡れ布巾の上に移して生地にツヤが出るまでかき混ぜます。
4. 3をバットに移し、ラップを密着させるようにかけて冷蔵庫で1時間ほど固まるまで冷やします。
5. お好みの形に切り分け、お皿に盛り付けます。仕上げにわさびを乗せて、薄口しょうゆをかけて完成です。

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最高です。でも私の腕では本店の味は越えられない。高野山、1200年の歴史は奥深い。
我が家ではこれを「ジェネリック胡麻とうふ」と呼んでいる。だけどジェネリックの技術が革新的に進歩し続けるように私の胡麻とうふ生成スキルも少しづつだが上がっている。日進月歩という言葉がしっくりくる。
真夏の暑い日、ひやりとした胡麻とうふ最高だ。

そして今朝5つあった胡麻とうふが残り2つになっていることを発見した夫が、タイトルである「この妖怪胡麻とうふめ…もう3つもないやん、半分以上食ってんじゃん」と笑った。
残り1つを夫、もう1つを私と息子で半分こすることになった。

4才息子にはジェネリックの方を食べさせたことがある。離乳食も終え、普通食を食べられる時期に与えたのだ。あの時の私と同様にカッと目を見開き、ほぉぉぉ~…と言ったあと、むしゃぶりついてきた。
もっとくれと食べさせているスプーンを奪い取らん勢いで目を輝かせていた。

息子よ…遺伝だね。でもまだ君には角濱様のは早い。けど私たち家族を思いやって贈ってくれた友人のことを考えると、きっと「もっとたくさんあげてね」と言ってくれると思う。先に好きなだけ食べさせて、残りはもらおう。

高野山が大好きだ。バイクでも何度か訪れた、長い坂の途中、平べったいお餅、通称「やきもち」も美味しい。これも10個単位で買って帰る。
仕事の研修で高野山大学に行った時、帰り道で全員で寄った時にもヨモギとプレーンを5つずつ購入した。毎年夏に研修があるのが楽しみだった。ダーツ先輩もこの時ばかりは優しくなる。高野山は人を浄化させる力があるのだなと勝手に思っていた。

そういえば平成27年には1200年を記念して、高野山でプロジェクションマッピングが行われた。その時に多くのお坊さんがマイクなしにお経を唱える姿は圧巻だった。お腹から響く声に鼓膜がビリビリしたし、光が煌びやかすぎてここがお寺であることを忘れてしまいそうだった。あのお腹の底からでるお経、あれはきっと胡麻とうふのパワーがもたらしたに違いない。

#このレシピが好き

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りょう。
無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。

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