不都合な現実に向き合うことで、普段の暮らしの価値づけに気づかせてくれる本 ~「命に<価値>を付けられるのか ハワード・スティーヴン・フリードマン」~
先日、一番下の子供が、学校が終わった時間でも帰ってこないので
妻と2人でどうしたのかと心配しました。
学校が終わって3時間経っても帰ってきません。こどもが持っている携帯電話に電話しても反応がありません。
ご飯の時間を過ぎても帰ってこないので、さぞかし腹をすかしてるんじゃないかなと心配しましたが
妻は事故に遭ってるんじゃないか、もし事故で大ケガをしていたら連絡もできないし、
まして事故だったら、相手も、こどもがどこの誰かも分からなければ連絡できないんじゃないか
もしものことがあったらどうしようと、いろいろ心配が心配を呼ぶような状態で考えていました。
私はもし事故に遭っていたら、治療費がどれぐらいかかるんだろう、
万が一子供が大怪我をしていたらどんなふうになるだろうと想像したのですが、
その時もちろん子供の痛みに寄り添う気持ちもあったのですが、
子供がいなくなった時にぽっかりと書く精神的な辛さもそうですし、
もしケガや病気になった時に医療費はどれぐらいかかるんだろうというような心配、計算もしていました。
端からすると、妻からすると、とんでもなく無慈悲な親心ない親だと思います。
妻にはとても言えませんでしたが、この本には、もしもの時に人のたちがどれぐらいあるのかを冷酷に書いています。
9・11で犠牲となった人の金銭的な補償についても、その現実を記していました。
妻と子供を持つエグゼクティブの場合の値段と、アジア出身で将来デザートを作る店を持つことを夢見る若い女性との間では
一方が億単位のお金が、もう一方は数千万円ほどしか保証がないというお金の差が記されています。
でもそれが現実なんでしょう。
生命保険会社も結局はそうですよね。がん保険もそうですし、交通事故にあった時の保証もそうですし。
その人の価値が、人としての値段が最低いくらという基準があって、
プラスアルファ、生涯賃金を計算して加えたりと、そのような計算式の下で人の命の価値は判断される事を
改めて示されたような印象です。
普段あまり目にしたくない、不都合な現実が色々書かれています。
考えたくない、不都合な内容が書かれています。
ここまで読むと、いやいや命は命でしょう、そんな、お金で価値付はできないんじゃないの、という批判があると思います。
子供の命はお金では代えられない、親の命を持っててしてでも、犠牲になってても子供を救いたい
そう思われる方もいるかもしれません。
理解したくない、受け入れたくない現実が色々書かれています。
そういう意味では不愉快な本かもしれません。
その思いを振り返って考えると、やはり強い感情があるからだと思います。
同時に、お金に価値づけされたくない、優劣をお金で決めたくない、同時に、一歩進めば、
お金が全てだとは思われたくない、という思いが根底にあるのかもしれません。
お金では割り切りないという思いです。
ただ現実は、やはりお金を基準としています。
失われた命は他に変えようがなく、結局お金で最終的な決着を迎えています。
事件や事故で人の命が奪われた時も、その残された人に対する思いに寄り添った上で、
最終的にはお金で決着を迎えるというケースが大半なのは
やはり価値づけとしてはお金に変わる道具がないからとも言えます。
ケーススタディとして例えば身近な人が交通事故に遭って延命措置を施すかどうかという選択を
病院で迫られた時にどうするか、といった事が一つあります。
例えば延命措置をとるのかどうか、それともただ生き長らえるよりも自然な形で最期を迎えたいと思うのかもしれません。
臓器を誰か第三者のために役立てて欲しいと思っているのかもしれません。
普段からその人のことが分かっていないと、いざという時に判断ができないですし
いざその人が自らの意思を示さない時には、示すことができない時には
やはりその人の思いをこちらが一方的に考え咀嚼、判断しなければならないわけで
その自己責任感がやはり重いと感じるケースが多いと思います。
同時にその人のことが分かっていないがために責任感が大きくなり重くなるのだと気づかされます。
つまりはその自分の周りの人の価値づけ、価値観、優先順位はどういったものなのか分かっておかないと、
本当のところは判断ができないのだろうと思います。
命に価値をつけるというのは、結局その人の持っている価値観が何かを理解して
その優先順位をつけることではないかと思います。
優先順位が高いものにお金を先時間を割き、労力を割く。
それこそが、その人の意思に沿っていることなんだろうと思います。
本としてはお金というキーワードが分かりやすく、また現実のバロメーター、物事の尺度になっていますので、お金を基準に見ています。
でもやはり結局のところは人の価値観がどこにあるのかということを見極めてそれに応じた対応するということが、この本の言いたいことなんだろうと思います。
普段は考えたくもない不都合な現実に目を向けさせてくれるという本ではないかと思います。
やはりここまで私も考えることはありませんでしたので
本を読んだ価値があると思います。
例えば自分の親ももう80歳で認知症も始まっていますが
本人は延命を望んでいませんし、両親共々これまで人生にある程度満足はしています。
そんな両親の想いを安らかに受け入れてあげるというのも一つの価値づけだと思います。
そこまでわかっていたら、いざというときも判断を迷わずにすむと思っています。
そんな、日々の、普段は考えたくない一つ一つの事に向き合い、考えさせてくれる本です。
2021年7月5日 読了