Happy Women's Map 滋賀県野洲市 飛鳥時代の代表的女性宮廷歌人 額田王 / The Representative Female Court Poet in the Asuka Period, Nukata Okimi
「君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く」
"As I wait for you and miss you, the autumn wind blows, moving the blinds in my home."
「あかねさす 紫野行 標野行 野守は見ずや 君が袖振る」
"Walking through the crimson fields of purple, walking through the forbidden fields, will not the keeper of the fields see you shaking your sleeves?"
額田王
Nukata Okimi
630年頃 - 700年頃
滋賀県野洲郡鏡里(現野洲市) 生誕
Born in Yasu-city, Shiga-ken
額田王は飛鳥時代を代表する女性宮廷歌人。皇極・斉明天皇ならびに中大兄皇子(後の天智天皇)に仕えて祭祀・歌会を司り、大化の改新・白村江の戦い・近江遷都を導く。壬申の乱に続く持統天皇下の皇位継承争いの最中、大海人皇子(後の天武天皇)との間にもうけた十市皇女(後の弘文天皇皇后)ならびに葛野王を養育。
Nukata Okimi is a female court poet representative of the Asuka period. She served Empresses Kogyoku / Saimei, as well as Prince Naka no Oe (later Emperor Tenchi), and was in charge of rituals and poetry gatherings, and led the Taika Reforms, the Battle of Hakusukinoe, and the relocation of the capital to Omi. During the battle for the Imperial succession under Empress Jito following the Jinshin War, she raised Princess Toichi (later Empress of Emperor Kobun), whom she had with Prince Oama (later Emperor Tenmu), and Prince Kazuno.
「押坂一族」
舒明天皇と皇極天皇(舒明天皇の皇后・寶女王)ともに押坂彦人大兄皇子の流れを引く天皇の御代、同じく、押坂一族である鏡王(押坂王の系譜)の王女として生まれた額田王は、10代半ば若くして大海人皇子と結ばれ、十市皇女を出産。皇極天皇に引き立てられた額田王は、飛鳥板蓋宮で宮廷歌人として活躍します。あるときは、夫・舒明天皇との思い出深い行幸を偲ぶ皇極天皇の心境を歌を詠んで治世を盛り立てます。
「秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 仮廬し 思ほゆ」
「大化の改新」
時を同じくして、義兄・中大兄皇子は、実姉・鏡王女が嫁いだ藤原鎌足とクーデターを起こし、聖徳太子一族を根絶やしにして権力を握っていた蘇我蝦夷と入鹿の親子を殺害、さらに皇位を辞して出家していた舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子(入鹿の従兄)を処刑。実母・皇極天皇から同母弟・孝徳天皇に譲位させ自ら皇太子となると、それ以前の蘇我氏系天皇と一線を画すための大化の改新を推し進めます。続いて、難波宮に遷都して対立を深める孝徳天皇の皇后・間人皇女(実妹)を飛鳥宮に連れ出して孝徳天皇を憤死に追いやり、遺児・有間皇子を謀反の罪で処刑。皇極天皇が再度皇位について斉明天皇に。額田王は夫・大海人皇子の身を案じて歌います。
「夕月の 仰ぎて問ひし 吾が背子が い立たせるがね いつかあはなむ」
「白村江の戦い」
斉明朝の終わり頃に百済が新羅と唐との連合軍に攻め入られ滅亡。復興を目指す百済側の要請により、日本に来朝していた百済の皇子・豊璋を百済に送り返すと、斉明天皇は百済救援のため、中大兄皇子ならびに大海人皇子とともに大軍を率いて九州へ出征。伊予の熟田津(愛媛県松山市)からいままさに船出しようとしている軍船400隻の先頭に立って、額田王が朗々と歌を吟唱します。
「熟田津に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出いでな」
「近江遷都」
戦闘の最中に斉明天皇が崩御すると、中大兄皇子の指揮する百済救援軍は白村江の戦いで大敗して壊滅的な打撃を受け、百済を放棄して総引き上げします。新羅や唐の連合軍隊が日本に侵攻してくることを恐れて、たくさんの山城を作り防人を配置しながら近江へ遷都します。大和から近江へ遷都の行列が奈良山を越えて山背(山城)の国へ入って三輪山がみえなくなるとき、額田王が神に歌を奉納します。
「味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや」
「つかの間の平和」
天智天皇が即位すると、百済の亡命者を大勢迎えて近江朝文化が花開きます。額田王は天智天皇の後宮に入り、大海人皇子との間に生まれた一人娘・十市皇女は天智天皇の皇太子・大友皇子の皇后に迎えられ葛野王を出産。額田女王は近江大津宮の宮廷歌人として、祭祀はじめ歌会の興を添えます。やがて天智天皇が崩御すると、殯の宮の行事に奉仕して挽歌を奉納、歌の世界から遠のきます。
「あかねさす 紫野行 標野行 野守は見ずや 君が袖振る」
「君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く」
「壬申の乱」
大友皇子が弘文天皇として即位するやいなや、かつての夫・大海人皇子がクーデターを起こして、実娘の夫である弘文天皇を攻め滅ぼします。まもなく実娘・十市皇后に先立たれた額田女王は、故郷の忍坂の地で十市皇女の菩提を弔いながら、孫の葛野王の養育に余生を捧げます。やがて天武天皇が崩御、母方に蘇我一族を持つ皇后・持統天皇の御代、押坂王家は臣籍に下って威奈公と称します。後継者争いで大津皇子に続いて草壁皇子が薨去、額田女王は葛野王に兄弟間でなく親子間での皇位継承を進言させ、持統天皇の実孫・珂瑠(軽)皇子が即位します。
「いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我が思へるごと」
-奈良万葉文化館
-「日本女流文学史 古代・中世篇」(同文書院1969年)
-「人物日本の女性史 第1巻 (華麗なる宮廷才女)」(集英社1977年)
-「万葉の女人像 (笠間選書 ; 56)」(上代文学会 編 / 笠間書院1976年)
-「額田王と忍坂一族 」(尾畑喜一郎 / 『万葉集の研究』桜楓社1984年)