共感を得る

「共感を得る」ことに「苦労」する。
ということについて最近考えています。今私が無理やり言葉をひねり出して毎日投稿することを最優先事項にしているこのnoteですが、やっぱりだんだんと成長を感じられる状況にならないと、noteを作って投稿することに意味をもたらすことができないのでは、という気がしています。
ではその「共感を得る」という私の中での定義が何なのか。表面的なところではそれなりの人数に記事を見てもらって「スキ」をしてもらう、なのですやっぱり。でも深層心理的には、「そこ」を求めるのはいろいろな意味で危険だと、ほんのり思っています。

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承認欲求のままに進んだら(「スキ」がほしいばっかりに)、八方美人な感じだったり、「自分」というものがはっきりしないブレたものになったり、自分が望む方向とは違うように思います。でも自分の書きたいように書いていたらそれはただの「一人よがり」で、受け取る相手のことを考えていないものになってしまいます。それも違うのよな。
あまり物事を明確に的確に表現することが得意ではないので、おぼろげにこんな感じと思っていることはいくつかあるのですが、うまく伝えられないのが、苦しい。そう、私は圧倒的にインプットとアウトプットが足りないのです。

で、この記事何が言いたいの?とお思いになることでしょう。それはちょっと次回に持ち越します。なぜならあと1分で舞台刀剣乱舞「ジョ伝三つら星刀語り」の無料ライブ配信が始まってしまうから!

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