【小説】テレビ塔の嘘
嘘は良くないと、理屈の上では分かっていた。
「A社の部品がテレビ塔で使われるみたいです」
中海銀行名古屋支店のオフィスで、私はアオイさんに話しかけた。彼は法人営業第二課の先輩だ。来週頭に東京本部への異動が決まっている。私は続けた。
「今日の業務後、一緒に見に行きませんか? A社、アオイさんからの引継先ですし……」
いいよ、と彼は快諾した。彼は二十八歳で美男子だ。銀行員にしては珍しい長めの茶髪、少年のように輝く大きな目。白いシャツからは逞しい小麦色の腕がのぞく。私は偽りの笑みを浮かべた。
久屋大通公園の噴水広場には、何組かのカップルがいた。アオイさんとデートしたかったな、と思った。今回のように、デートをしたさに嘘で連れ出すのではなく。
行き先は「いかにも名古屋」なテレビ塔でなく、錦の小洒落た居酒屋も検討した。その方がセンスは良い。でも、そんな場所は東京にもたくさんある。彼は東京が大好きな女の子と、東京な関係を結ぶだろう。私のことは、きっと忘れてしまう。
でも、ここなら、もしかしたら―――
「ねえ。A社の言ってた『テレビ塔』って、あれ?」
「はい」笑顔を取り繕って、私は応えた。
そうか、と彼は呟いた。そして噴水の最上部にある女性のブロンズ像を見て、私を見た。
「君には世話になったから、何かお礼したいな。欲しいもの、ある?」
あなただけだ。あと、この片思いを捨てる場所も。叫ぶ代わりに、私はうつむいた。
「ありません」
「嘘つき」
私は驚いて目を上げた。彼は笑っていた。
「テレビ塔、ミライタワーって名前に変わったんだよ。A社と話したなら分かるんじゃない」
完全な沈黙が一分ほど流れた。
「ま、良いか。俺から誘おうと思ってたし」
「え?」
「君、嘘つくの下手だろ。うちの銀行、店内恋愛は禁止だしね」
アオイさんの手が、私の手に触れた。
「せっかく来たんだから登ろうか。ミライタワー」
彼は微笑んだ。まっすぐな、心からの笑みだった。