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ブロックみーっけ!ー生きてて良かった


昨日、ふと自分の中に隠れていたメンタルブロックに出会った。
自分では気づいていなかったので、その発見にとても驚いた。
それは何かというと、「生きてて良かった!」という感覚についてだ。
普段の意識では気づかなかったけれど、私は「生きてて良かった!」と声に出すことに、どこか抵抗感があった。自分の中で、その言葉を素直に認めることができなかったのだ。

なぜそうだったのか。
おそらく、「生きてて良かった」と認めてしまうことで、過去の自分が抱えていた「生きていてごめんなさい」という気持ちを否定することになるからかもしれない。そんなことに、昨日ふと気づいたのだ。
心の底から驚いた。自分が自分の存在を否定していたことなんて、全く意識していなかったからだ。

この変化は、最近参加している演出家の岩井秀人さんが主催する「ライフライティングA」「ライフライティングB」や「褒め日記」のワークショップが影響しているのだと思う。
それに、好きな演劇を観たり、体力的にも余裕が出てきたりしたことも関係しているだろう。特に、私が参加した『皆んなで「て」を読もう!』というイベントでは、声に出して台本を読むことで、喉の筋肉の衰えを感じていた自分にとって、新しい刺激になった。そこで何かが動き始めていたのだろう。

次に「褒め日記」についてだが、これは自分のいいところを観察して書き留めるというもので、多くのメンタルヘルスの専門家が勧めている。私は自己肯定感に不安があるので、時々SNSに投稿していた。すると、他の人から「えらい!」とコメントをもらえることがあり、それが自分の承認欲求を少し満たしてくれたように思う。
その後、他人からもらった「えらい!」を自分に対して使うようになり、少しずつ自己肯定感も高まっていった。

しばらくしてから「褒め日記」を書くのを忘れていた時期があったが、岩井さんのワークショップで再びその重要性に気づいた。彼が勧める「〇〇できた、ありがてぇ!」という言葉に倣い、私も「ありがてぇ日記」として続けるようになった。
このプロセスの中で、「書く」という行為に対するハードルが低くなっていった。自分にとって、「書いてもいいんだ」と許可を与えることが、少しずつ「書く行為をすること」自然になってきたのだ。

そして、最近になって推しの先生が言っていた「生きてて良かったを増やす」という言葉を実践し始めた時、自分の中に「生きてて良かった」に対するメンタルブロックがあることに気づいた。
これまで、その言葉を言ったり書いたりすることに対して、無意識に違和感を抱いていた。

しかし、この気づきのおかげで、今では「生きてて良かった」と素直に表現できるようになりつつある。
それはまさに喜ばしい変化だ。

ちなみに、私の特性からか、時々思い浮かんだ言葉に音楽がついてくることがある。今回は、ウルフルズの『バンザイ ~好きでよかった~』のメロディが頭の中で変換されて、『バンザイ!生きてて良かった』と鼻歌を口ずさんでいる。笑

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