「人との距離感」について考えてみたよ
こんにちは。
今日は「人との距離感」について、少し考えてみたことを書いてみようと思います。日常生活での人付き合いは、楽しいこともありますが、ときに心が疲れてしまうようなこともありますよね。
たとえば、「聞いてほしい」と誰かが相談してくることがあります。
その時、私たちはできる限り相手の話に耳を傾け、真剣に向き合おうとします。でも、もしその相手が、自分の気持ちだけを一方的に押しつけてきたり、延々と話が続いてしまったらどうでしょうか。
こちらが疲れてしまったり、負担を感じてしまうこともあると思います。
ときには、「もうこの話は私には無理だな」と感じて、距離を置こうとすることもあるでしょう。
その際、「今はちょっと難しいかもね」と丁寧に伝えてみても、相手が理解してくれないことがあります。むしろ、「あなたにはもっと理解してほしいんだ」とさらに訴えかけてくることもあるんです。
こういうとき、相手はもしかすると、無意識に「自分のことだけを見てほしい」という気持ちが強すぎて、相手の心や立場を深く考える余裕がないのかもしれません。「なんで話を聞いてくれないの?」「私はこんなに苦しいのに!」という気持ちにとらわれすぎてしまうと、どうしても自分本位になってしまいがちです。
特に、幼い頃に心の安定が得られなかった人や、人との距離感をつかむのが難しい人は、大人になっても「自分の気持ちを満たすために他人を利用してしまう」ことがあるようです。
そうした人にとって、友人や知人というのは「自分を安心させてくれる存在」であり、「自分の思いを全て受け止めてくれる人」という認識になりがちなのです。
そして、距離を置こうとしても「私のことを見捨てないでほしい」「もっと理解してほしい」といった感情が強く出てくるので、関係を切ることがとても難しくなります。まるでこちらが無理にでも相手に付き合わなければいけないような気持ちにさせられることもありますよね。
そんなとき、私たちが一番大切にしたいのは、「自分の心の平穏」だと思います。どれだけ相手が辛いと感じていても、自分が無理をしてまで関わり続けることは、必ずしも正しい選択ではありません。ときには「自分が傷つかないため」に距離を置く勇気も大切なんです。
また、そうした人々の中には「私は悪い人間だ」「迷惑をかけてごめんなさい」と口にしつつ、実はその言葉の裏で「でも本当はもっと構ってほしい」と思っている人もいます。このようなケースでは、こちらが気持ちを汲んであげようとすると、相手はさらに依存してきてしまうことも少なくありません。
私たちが他人に共感すること、助けになろうとすることはとても大切です。しかし、自分の限界を超えてまで関わり続けることは、かえってお互いにとって良くない結果を招いてしまうこともあるのです。
そんなときは、少し距離を置いて、自分が「安全で安心できる場所」を見つけてあげてください。相手に対して悪意を持つ必要はありませんし、過度に罪悪感を抱く必要もありません。ただ「自分の心を守るため」に、自分にとって心地よい場所を大切にするという選択も、とても自然で大切なことだと思います。
人との距離感は本当に難しいものですが、私たちは誰かに無理に付き合う義務はないし、自分が安心できる関係を築く権利があることを、どうか忘れないでいてくださいね。