[企画参加]覚えている古い記憶
【あなたの覚えている
いちばん古い記憶はなんですか?】
その記憶は
景色なのか
人に言われた感じなのか
匂いなのか
風なのか
どんな感覚で想起されますか?
幼稚園に初登校したとき、下駄箱に靴を入れているシーンが思い出されました。
あの時、音が消えて記憶されています。
下駄箱に敷かれた簀子と砂埃。
あーここは異世界。
でも新しい幼稚園ができるまで一時的に通う幼稚園だからとぐっと我慢。
でも一時的に通う幼稚園だからではなく、
あの下駄箱は、親から離れて異世界への入り口だったのだろうなぁ。
幼稚園にも学校にも皆のようには馴染めない私がいました。
(皆って漢字。比べる白。
昭和の幼稚園、子どもたちひたすら比べられていたよね。)
幼稚園入園ということは4歳だな。一番古い記憶ではないな。
幼稚園入園の年に合わせて引っ越しました。
引越してくる前のアパートのシーンも思い出しました。
母は3歳下の妹とスーパーに買い物に行くので、
お姉ちゃんはひとりで留守番すること。泣かないこと。と言い聞かせます。
それ以前に一人で留守番していたことも、泣いていた記憶もないのですが、
帰ってきた母の言葉でいつも泣いていたことがわかります。
この日泣いた後、気持ちをごまかすために初めてテレビをつけました。
子ども向けの番組はやっておらず、女子バレーボールを観て泣かずに過ごしました。
「泣かなかったよ」の私の言葉に、
「泣いていたって下の階のおばさんが言ってたよ」
褒めて欲しかったんだろうなー。
泣き止んだんだから、下のおばさんも母も言わなくていいのに。
今なら、小さな子ふたり抱えてワンオペ育児の母が大変だったのはわかります。
くまさんの頭にネットでさらに古い記憶を思い出しました。
頭に包帯していたのは私ではありません。
父です。
頭に包帯を巻いた父が友人と一緒に帰ってきたのですが、
他人にしか見えません。
他人というか、今まで知っていた父親とは違う。別物にしか見えない。
怖くて母の後ろに隠れました。
あやしもさんの弟さんが生まれるとき、
おばあちゃんと病院へ歩いて行かれた記憶で
私も妹の出産で母がいなかったときのことを思い出しました。
祖母の家で夜寝る時間になり、「おばあちゃんの部屋で寝よう」と言われ、
閉じられたままのドアの前で「いつもこっちの部屋で寝てるの」と答えると、
そこで「ひとりで寝るの?」
おばあちゃんの家に泊まるときは、
いつもお父さんとお母さんと1階のこっちの部屋で寝ていることを
伝えたかっただけだったと思う。
祖母はドアを開いてくれたけど、
分厚いカーテンがひかれ、6月の湿った冷たい真っ暗な応接間。
ますます両親の不在を突きつけらました。
母は妹の出産後退院が長引き、
まだ祖母の家にいた叔母のベッドで寝たこともあります。
どうしてそれを記憶していたかというと
朝、床からベッドで眠る叔母を見上げています。
まったく理解できなかった。
なぜ床で寝てる?
ベッドで寝たはずなのに、床で寝てる。
床に落ちらからとそのままなことも
叔母が笑っていることも理解できない。
でも、すっごくよく寝ていたようです。
おばあちゃんの部屋の布団よりも、叔母のベッドよりも、
叔母のベッドの横の床が一番よく眠れたんだなー。
(それ以前に、子どもながらに疲れていたのかもなー)
そして叔母は、母のお見舞いにも連れて行ってくれたそうですが、
あなたのお母さんは「病室に入れないで!」と言った。
と大人になってから聞きました。
いま、おぼろげながら思い出してきましたが、
上に書いた頭に包帯を巻いた父と対面したときと同じく
母子同室の母を、叔母の後ろに隠れてみていて、
それ以上、母に近づこうとしなかったように思います。
それが母はショックだったのだと……。
あと、母の中に罪悪感もあったと思います。
いまならわかります。
でも、見捨てられた感を幼い私は持ったかもしれません。
病室の記憶はほぼなかったけれど、
退院後いつも私だけ留守番させられていたとき見捨てられた感、
認めてもらえない感が育っていったと思います。
ちなみに11歳になる娘は、留守番をしたことがありません。
今の時代小学校入学前に一人で留守番の選択肢はないし、
(ご家庭にもよると思いますが、アメリカでは州法などでNGですよね)
低学年で「一人はさみしい。おじいちゃんと遊びたい。」はわかるのですが、
3、4年生になると、私的にはほんのちょっとの時間なんだから宿題して留守番ししててよ。と思うのですが、嫌がります。
ママ友に聞くと、「ママ、留守ラッキー!と好きなことしてるよ」だそうです。
我が家は、ママいても好きなことしてるから、ママの留守中に特別やりたいことがあるわけではないんだろうなぁ。
幼稚園時代、泊まりがけでおじいちゃん・おばあちゃんの家に預けて帰ってきて
「さみしくなかった?」的なことを聞くと
「楽しかったよ!ママ帰ってくるってわかってるし。」
なるほどー。
私は、母が帰ってこないかもしれないと思っていたのかもしれない。
その悲しみを先取りして泣いていたのかもしれない。
出かけた人は、包帯頭の父のように別人、健康でない姿で帰ってくるかもしれないと恐れていたのかもしれない。
父の頭の傷は、すぐに治りましたよ。
でも、幼い子には衝撃の方が大きかったんだろうな。
幼い子だけでなく、父や母にも。
そして、古い記憶って自分が経験したことだけでなく
のちに聞いた話で作られていきますよね。
くまさんのコメントから、おひたちさんの記事。
みなさんも書いてみませんか?
くまさん、おひたちさん、勝手に呼びかけちゃいました!
人間って記憶で作られているところがあります。
新しく進むときに、古い記憶が浮上することがあります。
やる気満々なのに、苦しかったこと、悲しかったこと、寂しかったこと
などが思い出され、前に進めない、足を引っ張られているように感じることもあると思います。
前に進むために、手放すものが浮上してくる。
記憶が悪いというよりも
記憶と感情あるいは観念が結びついてしまったり、
奥底に閉じ込めてしまったことで
感情が凝り固まってしまったり、観念を強化してしまったり。
古傷が疼くのは
手放し解放されるチャンス
昨日は5月2回目の新月でした。
この機会に古い記憶を思い出してみませんか?
揺さぶりが激しい方、インナーチャイルドが泣きやまない方
人や自然の力を借りてくださいね。
何不自由なく育っていても、傷つきはあります。
泣いて泣いて泣いて、今、最適な距離感を体験している私。
お手伝いできることありますよ。