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進歩発展に繋がるお互いのあり方とは

松下幸之助 一日一話
12月 4日 事あるたびに

私は、世の中というものは刻々と変化していき、進歩発展していくものだという見方を根本的に持っています。何か事あるたびに、この世の中はだんだんよくなっていくと思っているのです。

あの誤った戦争をして、あれほどの痛手を被ったにもかかわらず、今日のように繁栄の姿になっているのは、どういう問題が起ころうとも、世の中は一刻一刻進歩発展していくものだということを表わしている一例ではないでしょうか。あの戦争があってよかったとは決して思いませんが、しかしどういう事があった場合でも、お互いのあり方次第で、それが進展に結びつく一つの素因になるのではないかと思います。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

松下翁は世の中というものは、常に流転し、どんな事があろうとも進歩発展していくものである仰っていますが、「お互いのあり方次第」という一つの条件を付けています。この「お互いのあり方」とは、どのようなあり方なのでしょうか。

その一つである「経営者のあり方」として、松下翁は以下のように述べています。

私はこの人間の社会というものは、本質的に行きづまるということはないと考えています。つまり、大昔から人類は何百万年と生き続けて、だんだん発展してきている。決して行きづまって終わったりしていません。ですから、今後もそのとおりで、いろいろ現実の問題として苦労があり大変だけれども、結局は、それぞれに道を求めてやっていけると信じています。もちろん、実際にはそれは決して容易なことではないと思いますが、しかし、少なくとも経営者として激動の時代に対処していくには、そのような信念を基本に持っていることが必要ではないかという気がするのです。
(松下幸之助著「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」より)

つまりは、経営者であるならば「世の中は必ず進化発展していくという事実に則した歴史を認識し、どんな激動の時代であろうとも道を求め続ける限りは決して行き詰まって終わることはないのだ」という強い信念を持つということでしょう。

更には、「お互いのあり方」の理想として、松下翁は以下のように述べています。

…たとえばお互いが何か大きな失敗をしたとします。失敗をすること自体は、お互い人間の常として、一面やむをえないといえるかもしれません。しかしその失敗が自分にとってきわめて深刻な場合には、それを気に病んで悲観し、思いあまって自分の生命をちぢめるといったような姿さえ実際には見られます。これはまことに気の毒な、同情すべきことだと思います。

 けれども、また一面においては、もしも素直な心が働いていたとするならば、おそらくそういう不幸な姿に陥ることはさけられるのではないかとも考えられます。というのは、素直な心が働いていたならば、物事を融通無碍に考えることができるからです。ですから、いかにその失敗が深刻であったとしても、たとえば ”失敗は成功の母である” というように考えて、それを生かしていこう、と思い直すことができると思うのです。

 すなわち、一つの固定した考えに陥って思いつめるという姿からぬけ出し、大失敗は大失敗だが、しかし死ぬほどのこともない、努力すればまたなんとかなるだろう、死んだつもりで一生懸命やってゆけば、やがてよりよい姿も生まれるだろう、などというように、その失敗を本当に成功の母とするような考え方なり努力をしていくこともできるようになるでしょう。

 したがって、素直な心を養い高めていったならば、物事にゆきづまるということも少なくなっていくのではないでしょうか。ゆきづまらずして、融通無碍に処していくことができるようになるというわけです。流れる水はいかなる障害物に出あおうとも少しも苦にせず、サラリと回って流れつづけていきます。それと同じように、真の素直な心になったならば、いかなる困難に出あおうとも融通無碍に対処して、みずからの歩みをきわめてスムーズに進めていくことができるようになると思います。…
(松下幸之助著「素直な心になるために」より)

つまりは、お互いが素直な心を養い高めていったならば、流転する世の中において水のように融通無碍に処していくことが出来るのだと仰っています。

水のように生きることに関して、中国古典において困難な時代をしぶとく生き抜くための知恵が書かれた「老子」に以下のような言葉があります。

「上善は水の如し」(老子)

もっとも理想的な生き方とは、水のような生き方であるという意味です。

水には柔軟さ、謙虚さ、秘めたるエネルギーがあります。どんな形の器にも逆らわずに、器なりに形を変えていく柔軟さ、自分を主張することなく自然に低いところに流れていく謙虚さ、更には、水は静かな流れの中にも巨大なエネルギーを秘めています。この水は川のイメージで問題ありませんが、日本の清流のような川ではなく、中国の長江や黄河などのような大河のことであり、遠くから眺めると静かに見えるが、近くで見ると流れが渦巻く物凄いエネルギーを秘めている川のことです。

加えて、視野を広くし視点を高くし世の中を俯瞰して見る際には、中国古典において超越の思想、即ち小さな現実に振り回されず自在に生きる教えを説く「荘子」の言葉が参考になります。

「時に安んじて順に処(お)れば、哀楽入る能(あた)わず」(荘子)

時の巡り合わせに安んじ、自然の流れに従っていれば、哀も楽もないのだ。流れに逆らわない自然流の生き方がいい、という意味です。

つまりは、結果の伴わないプロセスを重視するあまり長時間残業をして必死の形相で流れに逆らってまで無理に頑張ろうとするのではなく、パレートの法則のような市場原理を理解した上で、テコの原理のように自分の持つ限られた資源を効果的に結果の出るポイントに無駄なく投下することで、いかに労働生産性の高い働き方に繋げることを考えるかということです。

「荘子」は「あくせく生きるだけでは、人生を豊かにすることはできない。流れに身を任せた自然流の生き方で、ここぞという時に頑張ることだ。もっとスマートに頑張りなさい」と言っている訳です。

流転しながら進歩発展していく世の中においては、素直な心をベースとした柔軟性と謙虚さを持ちつつ、遠くから見るとのんびりと生きているように見えながら、近くで見ると渦巻く流れを持つ秘めたるエネルギーを蓄えているような生き方を心掛けたいと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp


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