MBAデザイナーnakayanさん流「メモの魔力」
先日の2019年3月1日(金)付日本経済新聞第二部には、SHOWROOMの前田祐二さんの次のような記事が掲載されていました。
© Source by 2019年3月1日(金)付日本経済新聞第二部より
私は記事を拝読した率直な感想を次のようにtweetさせて頂きました。
「素晴らしい!!」SHOWROOMの前田祐二さん。
自身の「軸」を築くまでの背景にどんな人生を歩んできたのだろうかと考えると、凄いな!の一言です。
メモの魔力では私の人生の軸も、1ページ目の下の方に掲載して頂いています。私もメモ魔の一人です^ ^
更には、
ここ最近、不思議と前田さん関連の記事に目が止まり、前田さんへ意識が向きます^ ^
私の運気が上がっている証拠かもしれませんね。私の力ではなく、あくまでも前田さんのお力ですが随分と「いいね」を頂きました^ ^
「就活生の皆さんも、運気を上げてベストを尽くせ!結果は絶対必然即絶対最善です!」
メモを取るということに関して、私がこれまでに出会った、あまり頭の宜しくない人たちの共通点として、日報を書くことを含めたメモを取るという行動を否定するという傾向が強くありました。直近の昨年末では、地方公務員の頭の宜しくない方たちに、メモを取る行為をバカにされていました。これらの人々は、日常的に頭の宜しくない行動や発言ばかりしているので、メモとしてファクトを残されると困るためにメモをとる行動自体を否定するという側面と、日々の反省を軽んじているという両側面があると考えられます。
メモを取るという行動は、メモを軽んじる人たちにとっては目の前の業務に関係のない非効率な行動をしているように見えるかもしれませんが、実際のところは目の前の仕事にど真剣に集中するための手段の一つです。なぜならば、目の前の業務に関係のない事柄に関してはささっとメモさえ取ってしまえば、記憶しておく必要がありませんので直ぐに忘れても問題なく、目の前に業務に集中できます。PCなどの起動を思い浮かべて頂くと分かりやすいですが、不要なアプリケーションが複数立ち上がっている状態よりも、1つのアプリケーションのみ起動している時の方が、限られたCPUやメモリーの中での処理速度は高まります。加えて、必要な時にはメモというHDDから、必要なデータを読み返せばいいという事です。
上記は、一時記憶に関する私のメモの活用法ですが、それと同時に「考えるためのメモ」も活用しています。以前の私の連続ツイート2017年11月1日付「<連ツイ>考えるためのノート(PDCAノート)とは」
( https://ameblo.jp/naka-yan/entry-12324708204.html )
にて軽く触れさせて頂きましたが、要約しますと「気付き、考え、実行する」ためにメモを活用しているということです。具体的には「ファクト」⇒「解釈」⇒「新たなアクション」へ繋げるためであり、マッキンゼー式のノート術である「空、雨、傘」と同じです。更には、自分の一日の行動をToDoBOXにすることで、見える化し、自らの行動や思考を客観視することが目的です。加えて、会議などのメモの際は、ToDoBOXは外し、「ファクト」⇒「解釈」⇒「新たなアクション」(空、雨、傘)のみのレイアウトにしています。
前述したような、日々の反省をしない人たちは、自分が頭の宜しくない行動や発言をしている事にすら気付くことがないために、改善する事も成長する事も限りなく無いに等しいと言えます。頭の宜しくない人たちの共通項としては、自分を客観視する機会、つまりはメタ認知を嫌う傾向があるとも言えます。その反面として、自己正当化や他責化は得意な人たちが多いと言えます。それと同時に、他人から自分がどう思われているのかとメモの内容が気になって仕方なく盗み見をしたり、社内ネットワークにおいて管理職がコンプライアンス上用いることが許可されている監視ツールなどを個人的な目的で利用して情報を把握しようとしたりします。私の場合は、そんな人たちに対しては、全く気付いていない振りをして、見られている事を前提で軽く洗脳してあげることも稀にあります。私は常に誰に見られても恥ずかしくない行動を心がけていますので、何かを見られて困ることはないのですが、影でこそこそ動こうとする人間は、自分が常に疚しい行動をしている影響から、周りの皆も自分同様に何らかの疚しさがあるものだと思い込んでいます。自分の疚しい行動を埋めるために他人の中から無理矢理にでも疚しい行動を見つけ出し、自分とイーブンの仲間にして安心したいようでもあります。
念のため申し上げますが「私は、頭の宜しくない小賢しいヤツらや、小手先の権謀術数ばかり試みるヤツらが大嫌いです!!」
権謀術数の類いは、自分が使えば全てブーメランのように自分自身に跳ね返ってくるだけですので、使わないに越した事はありません。しかし、世の中には先述したような頭の宜しくない小賢しいヤツらも多くおり、相手が使ってこないとは限りません。仕事上で、どうしても暫くの間は接しなくてはいけない機会などもありますので、相手の手の内は全て把握しておく事は必要であると言えます。繰り返しますが、把握はしつつも、自分からは使わないことです。
残念ながら世の中はきれいごとだけでは済まない事もありますので、どうしても、権謀術数の類いを使わざるを得ない機会に迫られることがあるかもしれません。そんな時は、全てが自分自身に跳ね返って来る事を覚悟した上で、使う事です。つまりは、換言しますと、「切腹する覚悟で相手を殺す!」という事です。その覚悟があるならば、使用するのは仕方がありません。大抵の場合は、頭の宜しくない小賢しいヤツというのは、後先考える思考力もなくその場しのぎの状況改善が目的でしかない場合が多く、そこまで腹が座った人間はいませんので、少し睨みを効かせた気迫を見せるだけでも、圧倒することは出来ます。
これからはビッグデータ時代です。それは生活の全てがデータ化される時代という意味でもあります。これまでの紙の文化が残っていた時代とは異なり、データを欺くことは出来ません。破棄してしまえば情報が消える紙の文化に育ってしまったが故に、データ社会の現実を理解していない人たちも多くいます。かつては、「天知る、地知る、我知る、人知る」(四知)とも言われましたが、データ社会により四知は既に現実のものになりつつあるのだということを、紙の文化で生きてきた方たちは特に肝に銘じる必要があるのだと言えます。
※こちらは2019年3月1日(金)のnakayanさんの連続ツイートを読みやすいように補足・修正を加え再編集したものです。
中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp