国家国民の行く末や私たち日本人のあるべき姿を考えるという大局的見地に立つ際においては、先哲たちの多くが共通し用いていた「思考の三原則」に沿って考えてみるということが大事になるのではないでしょうか。「思考の三原則」について、安岡正篤先生は以下のように述べています。
改めて、「思考の三原則」の沿って近代の日本における経済的な発展と精神の豊かさのバランスに焦点を合わせ歴史を振り返るのであれば、江戸時代というものは長きに渡る安定した経済を背景に、精神の豊かさを生む充実した修身教育がなされていました。その修身教育を礎とすることで明治維新は実現し、明治経済は大きく発展しました。更には大正中期の第一次世界大戦頃までは、時の指導者たちに江戸時代の修身教育で培った精神の豊かさが維持されていたため、弱小国であった日本が大国に勝利することも可能にしました。しかし明治以降は過度に経済の発展に目を向け修身教育を怠ったことにより、江戸の教育遺産であった修身教育が昭和初期頃では希薄となり、精神的な豊かさを持たない浅薄な指導者を多く排出することになってしまいました。その結果として、第二次世界大戦による惨禍を招くことになってしまいました。戦後には更に、日本人の強さに繋がる人間の本質的な要素や徳性に起因した精神的な豊かさを奪うことを目的としたGHQによる3R、5D、3Sの占領政策により、日本人は骨抜きにされてしまいました。人間の本質的な要素や徳性が失われた反面として、知識や技術が過度に重視されることとなり、日本経済はかつてないほどの発展を見せる高度成長期へ繋がることになりました。
近代日本における経済的な発展と精神的な豊かさの歴史においては、森信三先生が体系化された全一学(哲学)における二大真理である「万物平衡の理」と「身心相即の理」という側面が顕著に現れていると言えます。「万物平衡の理」とは、簡単にはこの世の中に両方いいということはなく、プラスの裏には必ずマイナスがあり、その意味で万物は平衡が保たれるようにできているとする理です。「身心相即の理」とは、「万物平衡の理」を人間レベルで考えた際、「躰と心」または 「物と心」のバランスもまた平衡が保たれるようにできているとする理です。
森信三先生は以下のように述べておられます。
畢竟するに、森先生は「我々人類の努力は、退歩性を有する精神文化へより向けられなければならない」と仰っているということです。
現状における経済は長期に渡り低迷しているとはいえ、物質文化は非後退的であるが故に歴史的な長いスパンでみれば、現状は十分充実している状況にあるとも言えます。今一度、大局的な視点から現状を近代日本における歴史に鑑みた上で、今の私たちが為すべきことは何なのか。加えて、為すべきこと為さなかった際にどんな未来が待っているか。または、為すべきことを為した際にはどんな未来が待っているか。私たち日本人は、同じ過ちを繰り返すことなく、寧ろ過ちを過ちとし改めた上で教訓とし未来へ生かしていくことが、きわめて肝要ではないかと私は考えます。