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10年以上前の自分のブログ記事を読んでみた

前回の「初心忘るべからず」の記事を書いたのをきっかけに、学生時代に書いていたブログを久々に読んでみました。はじめこちらにもリンクをはろうと思いましたが、中身がちょっと恥ずかしすぎるので、一部引用して、自分でコメントしてみます。

ちなみにブログもまあまあ書いてたので、この企画を始めると、ネタがつきない気がします!
真面目に「一考察」という記事。

現行の法律って、全てが戦後以降に作られているような気がしますが、明治政府の、太政官府による<太政官府告>(大日本帝国憲法前の布告)で、100年たった今もなお、継続しているものが、11件あるそうです。

実際効力をもつかどうかは意見が分かれるところらしいのですが、
例えば、改暦ノ布告(明治5年太政官布告第337号)は太陰暦から太陽暦への変更をさすものです。
これを廃止すると、すなわち太陰暦に戻ってしまうわけです。

そして、絞罪器械図式(明治6年太政官布告第65号)では、死刑執行についての細かい取り決めが書かれているのですが、現在の死刑もこの布告に基づいて執行されている、ということになるは、衝撃的であったりします。


ちなみに、太政官府とは・・・。倒幕派のグループが、王政復古の大号令を出して、幕府勢力を排除しようとして、<仮>の新政府を作った段階で、三職を置いていて、その後、旧幕府軍との戦いである戊辰戦争中に国の体制を整えていく中で、三職あらため、太政官とその下の立法・行法・司法としていったわけですね~。

その後、戊辰戦争が終結すると、微妙に仕組みが変わっていくのですが、後に(明治18年)内閣制度が整い、太政官制に変わるわけです。

いろいろ評価が分かれるところですが、やはり、内閣制度やら大日本帝国憲法やらが成立してこその明治国家体制の確立、と言っていいと思うので、やはりそれ以前の、太政官布告を元に死刑執行が行われている現状は、大日本帝国憲法を引き継いでいるという事例以上に、違和感があるわけですよ。
そんなことを考えていると、やはり、歴史って<過去のもの>という教養以上に深くて、向き合わなければいけない何かが確実にあるんですね。
私たちは、<歴史として勉強していること>からまさに地続きにいるということ。そんなことをもっと勉強して、考えて行きたいです。

10年以上前の自分のブログ「一考察」より


・・・・なんだか難しくて何が書いてあるか分かりません。さすが、大学院で修士論文をバリバリ書いているころの記事だと感心しました。書いている内容があっているかどうかは分かりません。


現行の法律で戦前から続いているものがあったなんて(すっかり忘れていて)ビックリです。
明治維新や大日本帝国憲法の授業がもうすぐあるので、「現在にも繋がる法律」をテーマに内容を深められそうです。

歴史の面白さってこういうところだと思います。

10年経った今、とりわけ歴史方面に関しては知識の劣化を感じます…さらに勉強して、考えを深めていきたいです!

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