見出し画像

「どうせ〜だから、〇〇できない」から「〜したら、◯◯できた」へ

私は元々自己肯定感が低くて、仕事に時間がかかり、プライベート面でもうまくいっていないことから、自分って価値があるのかなーと思うことがありました。


一年前から心理学を勉強し始め、少しずつ自分を褒めて、認めて、自分を大切にできるようになりました。
この一学期は、仕事面でも、自分を大切にできた点でも、本当に頑張ったなと思います。


ほぼ毎日。思ったことや、考えたことをnoteに書く時間をもてたのが一番効果的だと思います。
私のこんなとりとめない文章を読んでくれて、フォローしてくれて、スキを押してくれて、コメントをくださる方に感謝しています。



いつも自分の側にいてくれる人がいなくても、実際に会って話をする人たちでなくても、
同じような気持ちで頑張っている人や私に関わってくれる人がいると感じ、勇気と元気をもらっています。本当にありがとうございます。
おかげで、まだまだだけど、強くなれた気がします。


子どもたちとの関わり方も少しずつ変わりました。苦手なこと、できないことがあってもいい、できることだけ伸ばせばいい。

でも。


人の可能性は無限大だからできるようになるかもしれないし、これから変わることだってできる。
自分なんかとか自分なんてとか言わず、変わるだめの努力をすることも大切だと伝えています。



私はかつて特別支援学級を2年間担任していて、 1年間に数人ずつの子どもたちと向きあいました。


中学生なので、小学校までの経験で子ども達が抱えているものは、私の想像以上に大きかった。だからこそ、子ども達は、変わろうと常に努力を重ねていました。


覚えたいのに覚えられない。
計算の仕方が分からない。
言いたいのに言えない。


だけど、大好きな動物と関連させたら覚えられることが分かった。
指を使ったり、◯を書いたりしたら計算ができた。
上手く言えないけど、パソコンに入力なら、言いたいことを文章にできた。


この、「〜たら、〜ができた」を子ども達と一緒に探す2年間でした。

今でも覚えているのが、上司との面談にて。
生徒が普通科の高校を受験するということで、中3の範囲の数学を教えているが、専門ではないからなかなか大変だと話していたときのこと。


当時の上司から、どうせ覚えられないのだから、教える必要がないのでは?と言われました。


その方は特別支援学級の意義や役割をどう考えていたのでしょうか?今の私だったら、確実に聞いていたと思います。


ちょっと呆れてしまったのもあり、逆にやる気がわきました。私自身苦手な数学を勉強して、一生懸命教えました。


もちろんその生徒の頑張りが一番ですが、普通科の高校に進学するため、中3の4月から中1の勉強から始め、中学校の範囲を最後までやりとげました。


そんな生徒の思いや努力を、大人がどうせ無理とか、どうせできないと決めつけてしまうなんて、本当に情けないことだなと思います。
私自身、投げ出しそうになった瞬間が何度もあったので、反省しています。



うまく文章にするのは難しいのですが、
障害に関わる特性とか、幼少の頃からの性格とか辞められない癖とか、コンプレックスとか、



自分自身を客観的に理解して、解決策を一緒に考えて、伴走してくれる人がいれば、克服できるような気がしています。

あるいは克服しなくても今のままで充分素敵だから大丈夫と、自分自身を受け入れることが大事です。

「どうせ自分は◯◯なんで」

私もよく言ってしまうんですが、やはり、よくない言葉だなーって思います。
自分で良くないと思うなら誰かに助けてもらいながら変える努力をすればいい。

変えられないことなら、〇〇な自分をありのまま+に受け止め、別の方法で補えばいいのです。


私の幼少の頃からのコンプレックスは大きく2つ。

1つ目は、爪や皮膚を毟る、噛むなどの癖があり、常にボロボロの深爪の状態で、人に手を見せられないこと。

2つ目は字がとてつもなく汚いことです。

他にももちろんありますが、周りと比べて大きくマイナスだと思うのはこの2つ。
2つとも手に関することで、自分の手がはっきりいって一番のコンプレックスです。


1つ目の深爪に関しては、おそらく幼児の頃の親のマネから始まっていて、物心ついたときからなので、私自身自分の爪や手が汚いのは遺伝だと思っていて、綺麗になるとは思いませんでした。


今まで3回深爪矯正にチャレンジしました。一旦綺麗にはなりかけるのですが、ストレスがたまるとすぐにいじってしまうので、この仕事をしている限り無理だと諦めていました。


今回4回目。
普通のネイルサロンではなく、深爪矯正専門のサロンに通っています。
素人なので分かりませんが、普通のネイルサロンでも施術内容はあまり変わらないのかなーって思います。


深爪矯正専門のサロンは大学時代と今の2回ですが、ただ爪いじりを我慢しただけで褒めてくれること、いじってしまっても叱らず、次すべきことを一緒に考えてくれること、ちゃんと癖がなくなるまで繋がり続けてくれることに違いを感じました。


普通のサロンは、無言でひたすら施術するだけだったりして、深爪で明らかに作業しづらそうで、ただただ申し訳ない気持ち、後ろめたい気持ちになってしまいます。


施術内容は似ていても、深爪矯正専門の方は、コンプレックスをかかえるお客さんに寄り添うプロだと感じています。
あのネイリストさんが支えてくれるから頑張ろう!絶対爪きれいにしよう!と思えるのです。


深爪矯正はよく口コミで、「人生変わりました 」と書いてあります。爪一つで変わるのかとは思いますが、一生無理だと思っていたコンプレックスが解消されたら、自分の嫌いな部分が一つ消え、達成感のようなものがあるのかなと思います。

あとネイリストさんに言われたことですが、今までの私のストレスや頑張りをボロボロになった爪が受け入れてくれていたので、今までありがとうと開放してあげたいです。

そのストレスが身体の他の部分への自傷にいかないように、ストレス自体が減るよう自分をケアしていきたいです。


もう1つの字が汚い件については、意外とメリットがあったりします。
1つは、自分自身の字が汚いので、汚い字の特徴が分かり、汚い字を読む能力が高いこと。
2つ目は、他人の汚い字に全くいらいらしないこと。
3つ目は、きれいな字が書けない生徒にとっての生き方モデルになっていることです。

特に3つ目。識字関係で悩みをかかえる生徒が、授業以外に関わりがなかったのに、とても慕ってくれたことがあります。
「今まで凄く字で悩んでいたけど、こんなこと言ったら失礼かもしれないけど、先生に出会って、字が汚くてもちゃんと働けると分かり、価値観が変わった」とのことでした。
あと字が苦手な女子生徒からも慕われています。

字が汚いのはコンプレックスでしかなかったので、そんな存在になれたことに自分自身驚きでした。


字が綺麗に書けないことが辛く、学校にいけなくなるケースも見てきました。
私自身、最初の教育実習で、「字が汚すぎる」と小1用のひらがな練習帳をいただき、
大学院入試でも、論文の内容は良いんだけど、字が汚すぎではないかっいうご指摘をなぜかうけました。

字が汚いのは、もちろんデメリットの方が多いので、もちろん直せるものなら直したほうがよいのです。
でも、特性だったり、自分の力ではどうしようもないこともあります。
そんなときは誰かに頼るか、文明の利器を利用すればよいのです。今の世の中だったらスマホやタブレット、PCでいつでもどこでも、打ち込みの作業ができます。


私は字を1文字でも書きたくないので、
授業では大型テレビにスライドを投影するスタイルで、毎回黒板に書く「学習課題」「まとめ」などは、カードを貼る形にしています。

ちなみに、生徒からは「先生の字は3ヶ月でよめるようになるから大丈夫」と言われております。
まあ、それに甘えず丁寧に書けるようにしたいところです。

そんな感じで、人生で治すことができなかったコンプレックスを今まさに克服しようとしている例と、

克服できていないけど、意外なところで誰かを支えていることが分かり、文明の利器で回避しつづけているという例でした。


克服できても、できていなくても、何かプラスのものに捉え直しができたら良いように感じます。


できることが沢山あって優秀な人こそ、完璧ではない自分、できないことがある自分、失敗してしまう自分が嫌になり、どんどん自己肯定感を下げてしまっている気がします。



誰かの力を借りたらできるかもしれない。
やり方を変えたらできるかもしれない。
文明の利器を借りたらできるかもしれない。


「どうせ〜だから、〇〇できない」かではなくて、「〜したら、◯◯できた」という言葉が溢れる世の中になったら良いなと思います。

いいなと思ったら応援しよう!