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あの文豪でさえ、模索して自分のスタイルを作ったのか…『森鴎外、自分を探す』
昨年、久しぶりに訪れた神保町。
本屋さんで平積みになっていたこの本に目が止まりました。『森鴎外、自分を探す』出口智之・著(岩波ジュニア新書) です。
私は、森鴎外のファンではありません。でもこの本に惹かれた理由、それは本のタイトルと帯の言葉です。
文豪だって、不安だった!
先の見えない時代に生きた、自分探しの軌跡。
この帯の言葉、なんだか興味深くてワクワクしませんか? 私は「新しい時代の生き方」を自分のテーマにしているので、文豪の模索が気になります。
森鴎外といえば…
以前に本屋さんで、デュマ・フィスの『椿姫』を読みたかったのに、間違えて『舞姫』を手に取ったことがあります。中をパラパラめくると、「え!?古文??」文章が非常に古めかしいのです。よくよく表紙を見ると「森鴎外」と書いてあるではありませんか。
「森鴎外って、そんなに昔の人だった? 近代の人じゃなかったっけ??」
とにかくそれ以来、森鴎外は「難しくて古い文章を書く人」と、私は勝手に定義付けたのです。(ひどい)
そんな一方的な印象が、この本を読んで大きく変わりました。キーワードは「時代の狭間」です。
時代の転換期に、生き方を模索
『舞姫』の執筆当時は、書き言葉と話し言葉に違いがあって、言語改革の真っ只中だったそう。森鴎外は、生き方のみならず、文体においても自分探しを迫られていたらしいのです。そこで悩みに悩んで選んだのが、この文体。
私が古臭いと敬遠したその文章は、小説の書き方として、口語と文語が定まっていない時代ゆえの、森鴎外が挑んだ掛けだったのです。
お、面白い!!!
今まで、そんな視点で考えたことがありませんでした。
森鴎外は、時代の転換期を生きました。過去と未来の2つの価値観に挟まれて、常に新しい時代の答えを導き出そうとしていたようです。
悩み、選び、賭けに出て、新しい時代をつくる
本書を読んでいると、鴎外の人生にはいつも何かが立ちはだかっていたように見えます。例えば、学んでいたオランダ語が廃れ、ドイツ語を勉強しなければならなくなったり…。時代に翻弄され、常に悩み、模索し、時にはいじけたりもしています。それらは「自分探しの旅だった」と、著者は表現しています。
混沌とした時代。その狭間で揺れ、考え抜いた森鴎外の生き方は、現代にも通じるな… というか、今現在と同じ!?
模索した結果、この時代の文豪たちは近代文学の基礎を作ったのですよね。時代の転換期に、最善を探りながら生きることで、新しい時代を作っていく。腹をくくって賭けに出るって、なんてかっこいいのでしょう。私も、今の時代をアップデートしたい!
それにしても森鴎外は、文豪としても成功し、翻訳家としても名をなし、家業の軍医の本務も全うしています。任された公務もこなしています。おそるべしバイタリティ。恐れ多くも、非常にインスパイアされて刺激になりました。
生涯にわたって自分を探し、あの芥川龍之介をして「インヒューマン」(超人的)と言わしめたほどの、圧倒的な才能と普段の努力をもってそれを突き詰めた鴎外。その裏側にあった悩みは、おなじ近代人としてぼくたちとも意外に近く、そしてそのことに気づいた時、あらためて鴎外のすごさが見えてくるのです。
こうした時代背景を踏まえて、当時活躍した文豪たちの作品を、改めて読み返してみたいです。まずは、森鴎外が大絶賛したという、樋口一葉『たけくらべ』かな。
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