親がいなくなった時、自分は泣けるのだろうか···③ (僕と両親の関係性について 2 )
【 前回までのお話 】
母と父との関係についてどこまで書いていいものやら迷った挙げ句、いったん出し切ろうと思います。
僕も記事を通して気持ちの「棚卸し」をしていきます。
今回、家族のことを書いてもいいのではないかと思えたのは下のオススメ記事にある「ゆずさん」の記事を読んだことがきっかけでした。
ゆずさんも相当ひどい親御さんのもとで生きてこられたようなのですが、ゆずさん自身からはそれだけお辛い過去を背負ってきたような印象は全く受けませんし、そうした記事も書かないようにしていたそうです。
そんなゆずさんを見ていて、口にはされないものの、人それぞれの家族への複雑な思いがあること(それがポジティブなものであるにせよネガティブなものであるにせよ)に気づきました。
そしてそれを知ることが、家族との在り方を社会全体で考えてみるきっかけになるのではないかと自分自身、思えたのです。僕もそうした願いを込めてこのエッセイを書き切ろうと思っています。
少し脱線しましたが、ここでもう一度、僕と母の関係性について話を戻します。
前回述べた通り、母親は理不尽と暴力の人でした。
自分の考えや決めたルールは死んでも譲らない、ある意味子育てにからっきし向いてない人だったのだと思います。
例えば、「料理は晩ごはん以外は作らない」というルールがありました。朝、僕が学校へ行く時間には母は起きてもいません。台所に置いてある、スーパーで買ってきた6枚切りのパンが袋ごと置いてあるだけです。それさえ買い忘れた日は朝ご飯はなしです。
昼のお弁当は弁当箱ではなく、家でよく使うタッパにパンパンにご飯を入れて、おかずは毎日、同じ冷凍餃子3つを入れて終了です。
タッパだから毎日、鞄の中に汁が飛び散るし、友達にも「それ、弁当ちゃうやん(笑)」てからかわれるはで、昼休みが苦痛で仕方なかったのを覚えています。世間一般で言うところの「朝ご飯」、「昼ごはん」というものを知ったのは20才を超えてからでした。
社会人になったら手取り14、5万円の新卒給料のうち、5万円から10万円は家に入れろと貧乏なのを理由に僕のお金をあてにしようとするなど、親らしい部分が最後まで全く感じられませんでした。
中学生か高校生の時に、力ずくで家を放り出すなど、なぜひどい仕打ちばかりするのか聞いたことがあったのですが、
「私らも親からそういう仕打ち受けたもんなぁ。普通のことしとうだけやんな ? (笑)」
と側にいた父とお互いに世間話でもするかのような軽いノリでお互い微笑みながらこちらに向けてきた「何が不満なん ? 」と言いたげな顔を思い出す度に今でも鳥肌が立ちます。
まさに両親ともに「虐待の連鎖」をしていたようなのです。本当にそういうことってあるんですね。
あ、今日もこの辺りでいったんストップしておきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また少しずつ続きを書いていきます。
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