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【 エッセイ 】 多くの人の記事が読める理由



文章が上手くなるにはインプット(読む)とアウトプット(書く)のどちらも必要だと言われる。私もその通りだと思って半々くらいのエネルギーで実践している。

そのうちインプットに関して他の方の記事をよく読ませてもらっているが、1つ気づいたことがある。それは、「なぜこれほど多くの人の記事を何の抵抗もなく読めるのだろう」ということである。

例えばこのnoteサイト内の書き手が全員、職場の人だったらと考えるとどうだろう。おそらく半分くらいの人の記事しか読めないだろう。

それは自分の中に「先入観」があるからだ。
人にはそれぞれ合う合わないがある。日頃からいい印象を持っている人が書いたものは自然と読みたくなるし、いい印象を持っていない人が書いたものはあまり興味がわかない。

ところが、noteの場合は書き手の性格や雰囲気が具体的な部分までは分からない。その距離感が逆にちょうどいいのだ。

先入観を持たないからこそ、記事を書いた人の人柄ではなく、記事の内容自体に意識を集中させることができる。現実では性格が合わないかもしれない人ともつながりが持てるのである。

私が社会人になって最初に出会った上司である係長が入社後、数ヶ月が経った頃にこんなことを言っていた。

「未だに君の出身大学も学生時代のアルバイト歴も知らない。先入観を持ちたくなかったから履歴書を一度も見たことがない」

この言葉を聞いた時は驚いた。
面接をした人事部はもちろん私の出身大学やアルバイト歴を知っているが、所属部署の係長はあえてその情報を人事部から聞かなかったというのだ。

立派な上司だと思った。
確かに、新入社員のことを入社前から色々と知ってしまうと先入観やイメージを持ってしまい、良くも悪くもコミュニケーションに影響してしまうことがあるだろう。

それでも、私が同じ立場ならある程度は入社前に知っておきたい。直接に接することになる人物に興味を持つのはごく自然なことである。この時の上司は先入観を持ってしまうことの弊害をよく知っていたのだろう。

社会人になってから学んだことは数多くあるが、人と接する上で先入観を持たないことの重要性を教えてもらった貴重な経験であった。

noteは現実の社会ではないが、同じことが言えるのではないか思う。お互いにいい意味で適度な距離をつくることでより多くの人と円滑に交流を持つことができる。

特にこのnoteの場合は他のSNSと違って「書くことや読むことが好き」という共通意識を持った人が集まってくるので、好感や共感を持てる内容の投稿も比較的多い。

そういった意味ではnoteという場自体が1つの大きなコミュニティであると言えるかもしれない。それぞれの人が文章を通じて出会い、交流を深めていく。まさに同じ目的を持った仲間が集う1つの街のようだ。

現実世界では少子化が進行し、人口は右肩下がり、活気を失いつつある街が多い昨今。こんな時代だからこそこのnoteという「街」をこれからも大切にしたい。




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虎吉
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