難しいことは抜きにして # 春になれば
道を聞かれた。
今年に入ってからのこと。
そこは歩き慣れた地元、たやすい御用だ。
3、4人のおばさま方が声を発するのを待っていると、その方々は口ではなく手や腕をせわしなく動かし始めた。聴覚障害の方たちだったのだ。
僕は手話を知らない。
聞き取ることも話すこともできず、あわあわしていると、「もういいわ、ありがとう」というジェスチャーをして去っていかれてしまった。
こちらは立ち尽くすしかない。
世界はぐるりと反転し、「障害者」は自分の方だった。障害って何だろう。
そんな時、こんな記事に出会った。
従業員の約半分が聴覚障害者で運営している店舗が東京に数年前にオープンしたというのだ。障害を持つ方と健常者が一緒に働く職場はもはや珍しくないが、おそらく接客の実店舗では珍しい。
店内にはこんな看板まである。
「スターバックス」を手話(の指文字)で表したものだ。多様性を尊重する企業の姿勢が視覚的に表現されている。
客は声ではなく指差しや筆談などで注文する。
開店から数年が経ち、すっかり当たり前の光景になっているという。店員が聴覚障害者かどうか、誰も気にはしない。
スターバックス コーヒー ジャパンのCEO、水口貴文は取り組みの趣旨を以下のように述べている。
このコメントに僕は胸を打たれた。
これまで僕は身体的に障害のある方たちとは、どこかで違う世界を生きているような気がしていた。
けれども、冒頭の例で述べたように、自分が障害者か相手が障害者なのかは相対的なものであって、共通するのは皆、「ありのままの姿で生きている(あるいは少なくともそう願っている)」ということだけである。
ありのままの姿で日々を暮らし、働いていくことは誰しも言葉で言うほど簡単ではない。ましてや障害者の就労に関してはまだまだ偏見も多い時代だ。
それでもそれを実現しようとする強い企業姿勢は人々の心に響くものがある。絵空事ではなく、本気で実現しようとされているのだ。
そもそも、よくよく考えてみると、障害者が生きづらいのは社会が多数派に合わせて作られているからだと思う。逆に言うと、環境やルールが変われば「障害」という概念はがらりと変わることだろう。
まぁ、要は難しいことは抜きにして、みんながありのままの自分で生きれたら、働けたら、いいよねっていうことだと思う。みんなそうじゃん。
障害者の問題に限らず。
自分の仕事に誇りが持てないから、容姿に自信がないから、メンタルが弱いから、貧乏だから、学校に行けてないから、···。
「〜だから生きづらい、働きづらい」。
そんな言葉が色褪せていく未来へ向けて。
手がかりはもう見えている。
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春になったら自分へのご褒美として、東京に1人で旅がてらこの店に行き、桜色のフラペチーノでも飲みに行ってみようかな。手話の練習もしておこう。
東京には会ってみたい人がいる。感じてみたい空気がある。見てみたい景色がある。心が弾みだす。
やっぱり僕は春が好きなんだ。
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自身の企画に参加しました。
皆さん、ありがとうございました。
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