Snoopy

スヌーピー暦40年余り。老後を楽しもうとしていたところに体の不調に気づきました。進行性ではありますが、Today is my best day!と考えるとなんかわくわくします。明日はできないことが増えているかもしれません。それでも心はますます元気です。

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スヌーピー暦40年余り。老後を楽しもうとしていたところに体の不調に気づきました。進行性ではありますが、Today is my best day!と考えるとなんかわくわくします。明日はできないことが増えているかもしれません。それでも心はますます元気です。

最近の記事

ALSとともに生きた一年

1)病気の告知 今年1月6日私は筋萎縮性側索硬化症(ALS)(指定難病2)という宣告を受けました。その時の感想は自分が長生きできないということ、100歳まで生きるお金の算段をしなくてよくなったということ、ということでした。実際病気に関してはどのような経過をたどるのか、どんな困難があるのか、などネットでさらっと読んだだけでした。本当に楽観的に考えていたと思います。 この病気は、難病センターの説明では、 「筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉

    • ヘルプカードって何!

       私はまだレベル1ではあるが難病のALSを患っている。体が不自由さを増すにつれて、一見健康的な人と変わらない私は、どうすれば自分の不調を周りの人の知らせる事ができるのかと考えるようになった。  まず考えたのは、「杖」を持つことであった。ほとんどもの人は杖を持っている人には席を譲る。しかし私は、腕と手の力がかなり衰えていて、杖は手の負担になる。さらに、教室での講義は、不自由な手での印刷物を避けて、データで教材を配信するのにコンピューターは欠かせない。重い物を待てない私は、カー

      • 投稿をお休みします

        この33回投稿を続けてきましたが、今回で中止します。 33回(3月25日除く連日)投稿を続けてきました。   その中で学んだことが、3つあります。 1 続けることの大変さ 2 意外と書けるということ 3 スキは中々つかなかったということ   1 続けることの大変さ  病院に入院しているときは、夜の時間は豊富にありましたが、家に戻ると入浴や部屋の片づけ、また、介護支援の方々の来訪、契約と空いた時間が格段に少なくなりました。 Noteを始めるのは、夜の9時から

        • バリアフリー、ユニバーサルデザインなどに思う

          私が、ALSと診断を受けて、3か月。この期間に介護の認定を受け、障碍者の認定も進行中である。この状況になって、今までの思い込みとは違う問題に直面しており、そのことについて書いてみたい。 バリアフリーについて 私たちは、家を建てる時に、バリアフリーにした。トイレと階段には手すりをつけた。トイレや更衣室と風呂は段差がない。これで老後も安心だと思っていた。 87歳で亡くなった叔母は、60代から介護が必要で、私たちの新しい家ができた時は、自力で歩くことが出来なくなっていた。気さ

          再び私の自己紹介

          私は仕事柄学生達に英語で自己紹介をしてもらって、ビデオにとってアップしてもらう。ということをしています。 一昨々年までは、教室での講義でしたので、学生達は講義の中で自己紹介を考えて、みんなの前ではずかしそうに小さな声で自己紹介することが多かったです。何とかしたい! さて、オンラインの講義になってから、気が付きました。「ビデオに1分取ってアップしなさい。次の週にみんなで見て、感想や評価をしてもらいます。」この指示をすると、学生達は、原稿を書いて、練習を何回かしてから録画して

          再び私の自己紹介

          note投稿30回達成に思う

          3月6日私はnoteへの投稿を開始しました。 開始の理由 息子にnoteを勧められたからです。 私は、ALSの治療のために15日間の入院中。面会もない中で、年老いた母が心配していることを思い、家族に長ーいメールをしていました。900字位毎日病院でできたことをあれこれ伝えていました。入院した経験のある方は、夕飯から消灯まで長い時間があることをご存知だと思います。家事や片付けのないその時間を有効に使おうとあれこれ計画していました。2~3日YouTubeで投稿の仕方や注意など

          note投稿30回達成に思う

          モーニング・ページ(芸術家になるために、ある本の紹介)

          私は毎朝3ページの日記を書く。それのことを「モーニング・ページ」という。私はその習慣を「今からでも間に合う大人のための才能開花術」(ジュリアン・キャメロン著)で学びました。 本の裏表紙にはこの本の解説が次の様に書かれています。 「あなたもアーティストになれる! 人生の創造者であるわたしたちは、本来、アーティストである、と説く著者が、自らの体験をもとに創造性を育む方法をまとめ、アメリカでベストセラーになりました。ワークショップを開き、大学で教えるなどし、その効果は絶大。年齢

          モーニング・ページ(芸術家になるために、ある本の紹介)

          伝統を次の世代に

          団塊の世代やその次の世代の私たちは、「合理的」ということが、好きなようである。 そして、「合理的」でない伝統や行事などを排除し、「論理」で武装して、その理由にしてきた。 「それは違うのではないか」と本気で考えるようになったのは、自分の子供を持ってからである。 お宮参り、お食い初めをする。本人は知らないものではあるが、それを記録に残すことによって、その行事を次に残すことができる。  ひな祭りや端午の節句は親戚も一緒に祝う。毎年半年くらい前から、お雛様や武者飾り、鯉のぼり

          伝統を次の世代に

          横浜みなとみらいのこと

          今日はみなとみらいについて少し語ります。 横浜博覧会というのが、1989年にみなとみらい21地区というところでありました。当時は地方博がブームであったようです。観覧車や横浜美術館などは、その時の名残です。 それ以前はゴミの埋め立て地で、私はよく知らないのですがゴミ収集車が沢山で入りして埋め立て地を作っていたようです。このあたりは東京も「夢の島」というゴミの廃棄場所があったのとよく似ているかもしれません。 横浜は確かに埋め立て地の町でもあります。関東大震災の廃材やゴミの埋

          横浜みなとみらいのこと

          春の花の歌

          桜の花はなぜこんなに私たちの心をとらえるのでしょう。桜前線なんていうものがあるのは日本だけだと思います。私はこの時期は新学期の準備に忙しく、あまりあちこちの桜を見て歩いたことはありません。体が動かなくなる前にあちこちに行ってみたいものです。今日あたりは、武道館で入学式のある学生たちが、千鳥ヶ淵の桜をバックに写真を撮っているでしょうか。 私も桜の花を待ちわびている人間です。最近の歌を復習すると桜と春の花の歌を紹介します。上手くありませんが、私の気持ちを受け取ってください。

          春の花の歌

          スキップフロアの使い方

           スキップフロアをしっていますか。ハウスメーカーでは、蔵と呼んだりする会社もあるようです。  このステップフロアの使い方について、今日は考えてみたいと思います。  我が家は二階の一部がこのスキップフロアになっていて、その上に階段を上がると一部屋あり、その上がロフトになっています。10畳分もある広いスキップフロア 1 立って作業をすると首や腰を痛めるので座れるものを置く    スキップフロアは、高さが1メートルくらいなので、立って作業をするのは不可能です。DMYなどでう

          スキップフロアの使い方

          エープリルフールの思い出

          その日兄と私は暖かな日差しに誘われて外で遊んでいた 私たちは庭に小さな田んぼを作って白米を蒔いて米の収穫を考えたり ガラスの塊をダイヤモンドだと騒いで喧嘩になるいうなんか素朴な兄妹だった。 私はあまり悪戯ではなかったが兄の悪戯は超一流であった。 かなり近眼の父の眼鏡を隠したことがある 父が会社に出かけるまで、探したが見つからない 「あれ、こんなところにあった。」と玄関に置いてあった壺から眼鏡を出して見せる 父も時間がないのでその場で叱る時間もなく出かけて行った。

          エープリルフールの思い出

          私のイメージマップ

           自分の夢を実現するために、どんなことをしていますか。私はよく読んだ本の中で印象に残った部分に線をひいて、ノートに書きだす作業をよくやっていました。それだけのノートを作って自分は、理想の人間になれる。と思っていたこともありました。そんなノートを何年が後に見つけるとあの時の志はどうしたのか落ち込むことがあります。  次に私がやったのは、大きな付箋に自分を励ます言葉や、理想の言葉を張っておくというやり方です。これは、しばらくは効果がありました。私はそれを見ては、毎日自分を励まし

          私のイメージマップ

          佐藤君のこと

           私が彼と別れたのは、1969年3月25日のことだ。校門の陰から彼は現れて私に向かって叫んだ。「どこでも転校してしまえ。」と悔しそうな声の調子であった。私は、春休みの間に横浜へ引っ越しすることになっていた。最後のその中学の登校であった。  彼と私は同じ出席番号だった。当時は男子と女子の名簿が分かれているか、上下になっていた。男女混合名標になったのは、平成になってからのことである。同じ出席番号だと、どういうことが起きるかというと、隣の席になること、理科室のような机が縦に並んで

          佐藤君のこと

          朝の時間

           私の目標起床時間は4時30分。朝は朝食まで忙しい。毎日3ページ自分の成長のためのノートにあれこれかく。これは自分を成長させるための活動。自分の能力(そんなものはないのかもしれないが)を磨くための営み。  瞑想を10分する。超瞑想というのを知って、20数年前にかなりの資金をだして、学んだものだ。お金をかけた分くらいは、私の精神安定と発想力に影響を与えてくれている。  次に時間があれば音楽にいそしむ。ピアノで好きな曲を弾く。前にも書いたが一日10分も長く続けは曲になる。この

          朝の時間

          ある忙しい一日

           目が覚めたら5時18分だった。予定より30分位寝坊。このところ目覚まし時計に反応しないのは、病気が少し悪化しているからだろうか、それともまだもう少し休みがあるからだろうか。 朝の朝食までの時間は私にとってはとても貴重なので、寝坊はしたくないのだが… 休みなので少し気が緩んでいることにしておこう。  6時半。今日は気が張っているせいか、体の動きが良い。いつもならば、今の私の腕は5分が限界で、動作がおかしくなる。鍋やフライパンを持てなくなりつつある。母がすでに切っておいてく

          ある忙しい一日