福祉の仕事のあり方とありよう
ある集まりの中で
昨日、社会福祉の現場で働く人たちの小さな集まりがあった。
厳密にいうと、かつて、現場で働いていて、
今はその現場の管理する人たち、の集まり。
わたしより、経験が上の皆さんばかり。
話題は、これからの現場をどうしていくのか。
管理者の多くが、大きな時代の転換期を生きてきた人たち。
大きな時代の転換の終盤に、できあがった中に入ったわたしとは異なる人たち。
加えて、社会福祉という分野は、その中でもいろんな働く場があり、
いろんな事業があるので、他の業種から見ると同じ括りに見えて
この業界の人は、同じと思っていないことが多いと感じている。
わたしもそうだけど。
参加している人は、管理する側、経営に関わる側でかつ
わたしの職場とは似て非なるもの、のイメージの人たち。
そんななか、ついていけるか、心配しながらのスタートだった。
「実践」をどう伝えるのか
遅れてしまったこともあるけれど、心配することはなかったかもしれない。
というのが、第一の感想。
だって、みんな、福祉で働いたことがあるし、
その福祉現場がイメージできないことは、なかったから。
そりゃそうだわ。
福祉以外と関わりながら、どう人や組織とつながって、
利用者の生活の質を、自分たちの仕事を、どう高めていくか。
遅れて入ったわたしは、その熱い語りの真っ最中からのスタートだった。
その語りの中に、問いが生まれてくる。
なぜ、そうしようと思ったのか。
そう思ったきっかけは何か。
それには、他の経験で生きていることはあるのか。
突き詰めていくと
ソーシャルワークとは何か
働くとは何か
みたいなところに行き着く。
お酒も入らない、金曜の夜に、話し合う。
不思議な空間だった。
なんか、サッポロビールのコマーシャルみたいな感じ
ソーシャルワークとは何か
これ、専門職だけど意外と答えられないかもしれない、問い。
いや、専門職だからこそ、答えにくいのかもしれない。
人が幸せになること。
と、答えると、あまりにも漠然としているけど、究極はそうだと思っている。
その答えに、こう問われた。
人を幸せにするではなくて?
わたしは、そうは思っていないかな、っと。
つながる、つなげる、という話も出た。
話を聞きながら、しながら
ふっと、これ、誰が、というところの主語が変わると、
大きく意味合いが変わることに気づいた。
これらの問いには、doing と being が、あるのでは。
doingとbeing
夏のファシリテーターの学びのなかでも一つテーマ設定になっていた。
どうしても、わたしたちは、やることは何かを探してしまう。
ファシリテーターの準備として、用意するもの、事前学習、的なものを
あれこれと考えていく。
そんな時に、当日のファシリテーターから投げられたこと。
すること、だけでなく、ありよう、みたいなところはどうか。
その準備通りにはいかないことが多かったり、想定していなかったことも起こる。
そんな時、どうあったらいいのか、があると、少し心にゆとりがあるように感じた。
その場がどんな場であったらいいか、を考え、
することと同時に、自分のありようも考える。
そこ、意外と準備リストに入っていないことだった。
自分も、その場をどうしたら心地が良くて、
その場にいる自分以外の人も心地が良いをどう目指せるのか。
専門職としてのあり方とありよう
福祉の仕事、というと、以前は決まって「えらいね」言われた。
最近はどうだろう。
「えらいね」言われるのが嫌で、他では福祉の仕事を言うのを控えていた時期がある。
ほら、美容室とか、結構聞かれる。
正直、面倒なのものあるけど、そういう反応が嫌だったから。
ヘラヘラ生きている、とは思っていないし、
自分なりに一生懸命生きているつもりだけど、
春尾くんがいった、
「いい人だとか思われる」にはとてつもなく共感した。
そして、それをストレートに口に出す彼のセリフに、
あぁ、そう言えばいいんだ、と気付かされたのも事実。
いい人かどうか、ではなく、
自分が、社会や人に対して、自分に対しても、
より良く生きるために仕事をしていることは
言っていかないと、伝えていかないとダメだな、と、思う。
それが「えらいね」「いい人だね」であれば、
みんなそうなんじゃないか、と言える気がする。
なんだか、昨日話を聞いていて、そんなことを感じた。
今年のチャレンジの一つにしよう。