出産〜生後半年記録①
年初に第一子を出産し、早半年が経過した。
いずれ書き留めようと思っていた出産記録を、そろそろ重い腰を上げて書くことにする。
何だかんだ長くなりそうなので、3部作くらいに分けて…
投稿後の加筆修正大いにありマス…
最初は、妊娠〜出産直前までをまとめておく。
妊娠がわかるまで
きっかけは、「子供がいるというイメージが出来たこと」だった。
夫の友人が出産し、何十年かぶりに「赤ちゃん」という生き物に遭遇。一人っ子だった自分には「赤ちゃん」と接する機会はほぼ無く、初対面の日は抱っこすら怖くて出来なかった。もちろん声も掛けられなかった。見守るだけ。
夫は自分より年の離れた従兄弟がいたこともあり、抱っこもこわごわながらちゃんと出来ていた。お話もしていた。素直にこの人すごいなと感心した。
その姿を見て、(あ、この人の子供ができると、こんな感じなのかな…)とふと思った。
以前より夫とは「子供は2人欲しいね〜」なんて話はしていたが、具体的にいくつの時に男の子を、女の子を、とリアルには考えられていなかった。
わたしは子供が苦手だ、と思っていたけど、自分の子なら可愛く思えるかもしれない。この人とだったら、一緒に育児を頑張れるかもしれない。そう思った。
早速、ネットで「妊娠しやすい体調」を調べ、ものは試しでやってみることにした。
狙ったそのタイミングで、我が子を授かった。
…やるやん私。
というのも、体調を整えるために数年間ピルを服用していた。
当時は服用を中止してから半年程経った頃だったが、ちゃんと授かれる身体に戻っている自信がなかった。杞憂に終わったが。
不思議なもので、通常妊娠が判明する(検査薬が使えるようになる)にはある程度の時間が必要だが、その時の自分は検査時期よりずっと早くから授かっていることを確信していた。
めっきり体調に変化があったからだ。
その時は毎日1時間程度かけて車通勤していたが、いかんせん眠い。ずっと眠い。寝ても寝ても眠い。今までの周期的に来る眠気に輪をかけて眠い。
「超初期症状」なんて検索して、(あぁ、きっとそうだな…)と心を決めた。
検査時期が来るまで、禁酒した。
その月は今までで一番長く残業した。
検査ができる日になり、朝から検査。
自分の確信をより確かにするために、検査。
線が入ったことを確認。夫に伝える。
「ありがとう、よくやったな」
…嬉しかった。
この先何がどうなるか全く分からなかったけど、不思議と不安はなかった。
妊娠期間
そこからは、長いようであっという間の妊婦生活スタート。
毎回の健診で会えるのがとても楽しみだった。
男の子かな?女の子かな?わくわくした。
幸いつわりもひどくなく、食べられる物を選ぶ程度で済んだ。
母にも連絡した。改まった連絡で察してはいるようだったが、喜んでもらえた。
夫のご両親にも報告した。ちょうどお寿司を振る舞っていただいたタイミングだったので、申し訳なかったが…
仕事は、幸い妊娠が判った時点で在宅メインに切替させてもらえた。つわり中の車通勤や、身重での移動が極力抑えられたことはとても助かった。
また期末には、業務のクオリティに関して在宅環境でもほぼ落とすこと無く、こなせていたことを評価いただけた。在宅中は業務含め生活全てを自分のペースでこなせる分、思う存分やれていた。それを評価いただけたことはかなり嬉しかった。復帰後の自信にも繋がったと感じる。
自分しかこなせない業務もいくつかあった分、引継もたっぷり時間を取ってやらせてもらえた。ほぼTeamsでのミーティング形式だった分、ご協力頂いた上司や同僚には感謝しかない。
妊娠期間中の仕事面ではあらゆるものに恵まれていた。
匂いや食の好みなど、変化はあった。
敏感肌が加速した。出産直前までかゆみとの戦いだった。
愛車に乗って、夫と二人旅行にも出掛けた。
結婚前のデートスポットにも再訪した。
幾人か友人にも再会を果たした。
健診中の検査で多少引っかかることはあれど、大きな不安もなく産休に入ることが出来た。
産休期間
9ヶ月過ぎから里帰り出産のため実家へ戻る。
当時の記憶はあまりない。
苦しかったり辛かったり焦っていたり寂しかったり…
夫とはしばしのお別れ生活。
離れて暮らすのは結婚前の遠距離恋愛ぶり。心の拠り所を無くす。
祖母や母のいる実家へ戻り、他人との生活のズレに苦しむ。
持て余す時間をなんとか誤魔化そうと、簿記や株の勉強に充てたりもした。
前駆陣痛はほとんどなかった。
満月の夜も新月の夜もそわそわしたけど、そわそわして終わった。
予定日が近付くにつれ、出産以外のことを考えるのも億劫になった。
毎日YouTubeで出産関連の動画を見、陣痛促進動画を見て運動し、近所を歩き回った。
結果、予定日を過ぎても陣痛は来なかった。
毎日湯船に浸かりながら、お腹に話しかけた。
名前の候補は2つあったが、のんびりさん向けの名前にこのあたりから決まっていた。
予定日後の健診。朝に初めておしるしがあった。
「出てくる気配ないねぇ。明後日の健診で入院日を決めましょう。」医師から告げられた。
モニターやエコーでは大人しかったのに、入院日の話が出た瞬間から予兆を感じた。(また謎の確信モード発動)
健診後、確信モードのおかげか、謎に吹っ切れた。
両親とラーメンを食べた。餃子チャーハンセット付き。
飲みたかった午後の紅茶ミルクティーもキメた。
身体がエネルギーを欲していた。思い残すことはなかった。
夕方頃から、やや規則的な陣痛の波が来はじめる。
夕食はほとんど取れなかった。
午後の紅茶ミルクティーだけは、キメた。
夜、病院へ電話。
陣痛間隔はあまり短くなかったが、ひとまずモニターしてみましょうという流れに。
結果、そのまま入院となった。
続く…