多方面から大戦を見つめる
先週末、私の住むカリフォルニア州には約100年ぶりのハリケーンが上陸した。
大変なことになる、とニュースで散々脅されたが私の地区は特に被害もなく台風が過ぎ去っていった。
日本ならこのくらいの雨なら一年に何度もあるよ、くらいの降水量でも普段本当に雨の少ない地域故、道路の水捌けの悪さによる冠水やアパートの雨漏りなど心配した。
水道が止まった時の備えとして飲料水を余分に買ってきたり、調理なしで食べれる食料を準備したり、トイレの水を流すのに風呂の水を貯めたり色々考え得ることをしてみたが、幸運にも杞憂に終わった。
雨降る中、少しだけ外出したときに、普段全く日の目を見ない撥水生地のジャケットを張り切って着てみた。
そして、夫に「これ本当に水を通さないよ」と報告したりした。
嬉しそうに子ども用傘を差す幼児を見かけ、「そうだよね、普段雨降らないもんね」と微笑ましく思ったが、私も全く同じことをしていた。
これで私も、少しでも肌寒いと(15℃位)ここぞとばかりにダウンジャケットを羽織る南カリフォルニア住民に立派に仲間入りしたと言えるだろう。
郷に入れば郷に従え、である。
同じ週末、久しぶりに日系の古本屋さんに行ってきた。
$2の安売りの本ばかりを4冊お迎えした。
お弁当も好きなものから食べる派の今を生きるタイプの私は今読んでいる本があるにも関わらず、早速買ってきた本を開いた。
美術史に興味のある私は即決でこの本を手に取った。
この本では、毎日新聞社のベルリン特派員であった篠田航一氏がナチスの10万点の美術盗品の行方を追う。
何年も前に『ミケランジェロ・プロジェクト』という同じくナチス・ドイツの収集した美術品をテーマにした映画を見た。
その時日本にいなかったか、近くの映画館で上映が無かったか、ずっと見たかったのにしばらく見れなかった映画を飛行機の機内エンターテインメントで見つけて興奮気味に鑑賞したことを覚えている。
当時からもっとナチス・ドイツの美術品について知りたいと思ってきた。
ヒトラー自身が画家志望の美術学生だった、という話にも何ともドラマ性があるし、「建築家のスケッチ」とも評される売れない風景画家であったため当時人気を博した前衛芸術は退廃芸術とし、弾圧した。
かなり個人的な恨みが垣間見れるが、周りの政治家は疑問に思わなかったのだろうか。
恐怖政治で何も言えなかったか、スピーチの天才ヒトラーを前に丸め込まれてしまったか。
最近、夫の勧めでトム・ハンクス主演の『プライベート・ライアン』という映画を見た。
この映画はノルマンディー上陸作戦がテーマで『ミケランジェロ・プロジェクト』の時よりずっとずっと若き日のマット・デイモンも重要人物として登場する。
アメリカ、イギリス等からなる連合軍がナチス・ドイツ占領下であったフランスの北部、ノルマンディー海岸から上陸した時の話であるが、全体の上陸作戦としては連合軍側が大成功を収めた。
しかし、米軍が担当したオマハ・ビーチでは最も多い2000人の死者を出し、ナチスの猛攻撃を受けた様子が映画の冒頭で長すぎるくらいに映し出される。
普通、人が死んでいく映画はその人の人生を追い、観客がその人のことをよく知ってから死ぬことで、感情がより揺さぶられるものだと思う。
この映画はノルマンディー上陸作戦を目前に控えたすし詰め状態の船の中から始まるのにも関わらず、船から降りることもままならないまま、バタバタと米兵が死んでいく。
この映画はアメリカ人が見るナチス・ドイツとの戦争がテーマだ。
また、最近まで読んでいた『同士少女よ、敵を撃て』ではソ連がナチス・ドイツと戦った第二次世界大戦が舞台で、ソ連兵の立場から見た戦争が描かれた。
もちろんこの本も上記の映画も歴史をテーマとした創作作品であることはわかっている。
ただ、戦争には敵と味方がいて、それぞれがそれぞれの正義を掲げて戦っているのだという当たり前のことを再認識するきっかけとなった。
この本では篠田氏がドイツ国内からナチス・ドイツの盗品、特に今も行方の分からない10万点を当時の関係者や関係者の家族などへの取材と共に行方を辿る、という内容になっている。
先祖の間違いを正そうとする国の動き、家族の動き、当時の監視社会の恐怖が未だに抜けないドイツ人など、美術品を通してドイツ人の第二次世界大戦が垣間見れる。
とにかく何でも文書にしていたことで有名なナチス・ドイツだが、シュタージ(東ドイツの秘密警察)の公的文書を保存する文書管理局があるらしい。
この莫大な資料は市民に開放されていて、メモをとったり、コピーをとることも可能だという。
同じ間違いは繰り返さない、開かれた政府を目指すという国のひたむきな姿勢が表れていると思う。
私が今後、歴史的資料になるような文章を書くことはないだろうが、その時々思ったこと感じたことを記録に残しておくのは大事なことだろうな、と思う。
あの時のきらきらした景色も、決して忘れないと誓った感動の瞬間も、乗り越えられるだろうかと不安に思った哀しみもいつかは色褪せる。
現に、このnoteですらも読み返すと、ああ、そうだったと思うのである。30代でこの程度の記憶力なので、今後はもっと形に残すことが大事になってくると思う。
妻に見られてもいいように夜遊び放蕩の数々をローマ字で日記に記した石川啄木も、あまりに娘を愛するあまり、娘の一挙手一投足を漫画付きの日記で記した画家・岸田劉生も、書き残したことで彼らの人間らしさが倍増して魅力的に世に知れ渡った、と言える。
本人たちはいい迷惑だ、と思っているかもしれないが(特に啄木)。
閑話休題。
第二次世界大戦でナチス・ドイツ(国民社会主義ドイツ労働者党)と直接戦ったアメリカでは、日本以上にはっきりとした嫌悪感を示す人が多いと思う。
当然、どの方面から見ても史上最悪の犯罪者集団であることは明確だ。
今回購入したこの本にはヒトラーの顔写真が載った帯がついていた。外に持ち出してこの本を読む時にはそっとその帯を外した。
私は歴史をテーマにした本でもただ事実を羅列する本ではなく、著者の意見や思い、取材・研究を通して感じたことが込められた本が好きだ。
現地取材でしかわからない空気感、実際に人と会って素晴らしい本を著してくれた作者に感謝したい。
8月27日 日曜日
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