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教え子の死は誰にとっても悲しい②【21】普通の高校教師が、外国につながりのある子どもに日本語を教えるようになった

「教え子の死は誰にとっても悲しい①」の
続きとなります。


更に長くなり、分割して良かったと
改めて思う次第です。

学校教員を目指している方や始めたばかりの方、お子さんを学校に通わせている保護者さん、に楽しく読んでもらえれば幸いです!


🌿Digression(余談)🌿

〈続き〉
偏差値の高い大学に合格して入り、
教師でなくてもいくらでも就職先あっただろうし、
仕事もよくできた人だったが。

50代前半の若さで心筋梗塞、と聞いたけど、
心労でしかないんじゃないか?
もっと高齢でも治っている人は沢山いる。

20代で亡くなった同期は事故死
と当時言われたが、
今思えば不審な点があるのは否めない。

40代で亡くなった同期も
「死因はよくわからないんだよね」と、
訃報を伝えてくれた方から言われた。

他の職種もそうなのかもしれないが、
死ぬほど(頑張って)働く
とはどういう事なんだろう?

公立高校教諭の職場では
「仕事はデキる人に頼め」というのが
暗黙の了解になっている。
速いし要領えてるし間違いがない(少ない)から。

妻子があれば「子どもが熱出した」
「一生に一回だから卒業式には出てやりたい」
など、休む理由もつくりやすいものだが、

独り身だったし、
余計、頼まれる仕事の量は
半端なく多かったと推察される。

葬儀、ご時世のもと一般焼香のみだったが、
当時担任の石田先生(仮名)が、
今まで見た中でいちばんやつれた顔
をしていて驚く。

教え子の死は誰にとっても悲しい。
石田先生(仮名)は悲しさ余って
ご香典をご自宅に忘れてきたらしかった。

事前に男子Kから一件を聞いていたわたしは、
葬儀後飲み会(地元の風習)で、
いの一番に先生に言った。
「先生、今日大事な物
お忘れになったんですって?」
(この言い回しは、現在読書中の
山崎豊子氏小説の影響を受けている)

「よ〜く忘れるのよ」
瞬間に、照れ隠しなのか、
笑って誤魔化せ的なのか、
いつもの大きな温かいお顔が戻ってきた。
重ねて、男子Kが
「せんせ、認知(症)だいじょぶなの?」
ふざけ半分、心配半分の絶妙な塩梅に聞いて
店中が笑って、和やかな空気が流れた。

一緒に亡き同期もこの店にいる、と思えた。

後で聞いた話によれば、
石田先生(仮名)にとって担任した教え子を亡くしたのは、
今回二人目との事だった。

かく言う自分は、
学校現場勤務において、
数名の生徒を亡くしている。

担任した教え子を亡くした経験は、まだないが
それぞれに、多少の差はあれ
「自分にも何か出来た事があったんじゃないか」
と自責の念に駆られている。

ごめんなさい、だいぶ前のことにはなるが、noteに書けるほどの気持ちの整理は
まだつけられていません。

木漏れ日


うちうちで「石田イズム」と言い合う単語がある。
愛想笑いはしない石田先生(仮名)には、
教育哲学みたいなものがある。

人柄と言ってしまうのは軽い。
ちょっと普通の先生が言わないような事を
言うし、やる。

自分は元教師のため、
教師と言われる人達には
これまで約1000人くらいに出会っているが、その中でも数少ない、
周りも認める本物の教育者。

生徒に媚びる事はなく、
生徒自分さえ知らない中身、
そらは本質を見てくれてたし、
それでいて大局も捉え問題解決もしてくれてた。

足で稼いだ、つまりほぼ毎晩
誰かしらの生徒の家に上がり込んで
飲んでた。前触れなしにつくし自宅にも来た。
両親の慌てぶりはいまだに忘れられない。

飲むうちに答えが出てたんだ、
としか言いようがない。

うーん、言葉でくくれる大きさではないため、
石田(仮名)エピソードについては
おいおいお伝えしようと思う。

そんな(どんな?)「石田イズム」が
クラス全員の根底には流れている。
わたしの根底にも流れている。

一個人のイズムが
人間の心の中に流れ続けるとは、教育者って、
すごくない?

故同期のイズムだって、その教え子達に
一生、流れ続けるのかもしれない。

夏空


葬儀では、
おばちゃん達が声あげて泣いてたし、
教育関係者含む同僚らしき人、教え子らしき人
がつめかけて、葬儀場としては
見た事無いほど混雑していた。

本人は、死ぬまで、
自分がこんなにまで愛されてた事に
気付けてなかった
んじゃないだろうか?なんて、
同期だからこそ言わせてもらうよ根性で、
わたしはここに記す!

いや、気付いていて、
直前まで「死にたくない」と思っていた、
かもしれない!教育界を変えたいとか
本気で思って着手していた矢先、
だったかもしれない。

生きてるうちにもっと、喋りたかった!
何考えてるかわからない、
お互いにそう言われる人種同士、
もっと、喋りたかったんですけど!

死んだら何もできないじゃん!

…なんだか自分、
逆ギレモードが加速しそうなので
この辺でやめときます。

ご冥福をお祈り申し上げます。

頭使うと糖分がほしくなる


🌿余談の余談🌿だが、
故人が書けと言っている気がしたので、
書いてみる。


いつだったか、
生徒に死生観について話した事があった。

「誰だって人は絶対いつか死にます。
皆さんは、どんな死に方が理想でしょうか。
例えば、何か上から大きい物が落ちてきて
危ない!って言って、生徒をかばって
わたしは命を落とす、っていう死に方
それがわたしの理想です。
愛する生徒を救えたら、
この命が使えたら、それはわたしには本望、
と思っています」

当時の若い自分がいたって真剣に考えた死生観の話に、
クラスの半数くらいが
深刻な表情で押し黙ってしまった、中、
いちばん聡明かつ元気な生徒が、

「……つくし先生の場合、うちら助かって、
 先生も助かりそ」
空(くう)を見つめて言う。
ん?何か見えたか?

確かに、自分は、
生きる事に対する執着が強い方だと思う。
うん、両者生き残るかもしれない、
この状況であれば。

しかも、よくよく考えると、
わたしが死んだ場合、助かった側の生徒には
プレッシャーがかかる。

先生を自分が死なせてしまった
という重荷を背負わせるのは、
それはちょっと生徒に申し訳ない。

…今は亡き同期達は、どんな死生観を
もっていたのだろうか?

自分は一応まだ生きているので、
死生観を塗り替え、塗り替えては考え、して、
なるべく早く答えを出して、
生きていきたい。

すみません、余談の余談は以上です。
故人の意志(とわたしは受け取った)により
話がそれました。これについては、
わたしのせいではありません笑
                               


とにもかくにも、

学校現場って、生徒も教師も、
死と隣り合わせだ。

他職種では、それはそれでそれぞれおありで、
どれがどうなのか、はわからない。

でもわかるのは、この現場に入る前には、
ここまでとは思わなかった
という事。

毎日が命がけ。

学校勤務の方も、そうでない方も、
皆様、命、大切に
               🌿おわり🌿


最後まで読んで頂きありがとうございました❤️
ここまで読んでくださった皆様の幸せを
心よりお祈り申し上げます❤️❤️❤️



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