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小説 『怒りにぶっかける発泡酒の苦さ』 ① 男

狭いキッチンの薄暗く光る蛍光灯の下で、私は安い発泡酒のプルタブを引いた。「プシュ、カキ、」
その音が鳴りやんでも、この部屋の外からは何も音が聴こえてこなかった。
その音をずっと想像して今日一日過ごしてきたけれど、想像と実際の音にはかなり差があることに驚いた。
実際には、
思ったより虚しくて、思ったより個人的な音がした。

いつから自分一人で食べる食事の盛り付けに気を使わなくなったんだろう。切れ味の悪い包丁で乱暴に切った野菜と肉、目分量で入れた調味料、そういう光景が私の生活の一部になったのはいつからだろう。
その光景を見るたびに、自分の至らなさを痛感してうっかり今日を肯定し損なう。

うっかり肯定し損なった今日を私はお酒で肯定する。
うっかり肯定し損なった今日を私はお酒のアテに作ったチョリソーの味の濃さで肯定する。
うっかり肯定し損なった今日を私はyoutubeに映る誰かの生活を浴びて肯定する。そして、やはりそうするにはお酒がいる。


ライン教えてくれない?
この2時間二人きり、ぶっ通しで一緒にカラオケをしていたお客さんのショウくんがバーカウンター越しに言った。
今日は開店直後に来た大阪から出張中のサラリーマンのお客さんが店を出てからは、この空間に彼と私しかいない。
ショウくんは少しパーマのかかった長めの髪で、前髪が顎まで届いている。
彼は1ヶ月に2回くらいは来てくれる。常連さんとは言えないけど、来たら毎回閉店近くまでいる。

え、なんで
私は、自分の目が泳いでしまってるのを自覚しながら理由を聞いた。理由なんてわかっているのに、なんで聞き返すんだろうと自分でも思った。
無駄に時間を稼ぎたかったのかもしれない。
ギャルが驚いた時に「待って」っていうやつと同じだ。

え、楽しいから、、ショウくんはそう言って挑むように私の目を見た。
楽しい、か。なんか周りくどいやつだなと思った。
でももっと露骨に来られるのも気持ち悪い。
恋愛の方法に正解なんてないっていうのはこういうことだ。
どうやっても気持ち悪くなるんだよ。弱みを見せることが相手に好意を伝えるってことだから。
その弱さを気持ち悪いと捉えるのか、嬉しいとか、可愛いと捉えるのか、それは、やっぱり相対的な問題だ。

え、うーん。まあいいけど
私は、承認欲求が満たされて喜び、相手への優越感と残酷さを感じながらケータイのライン画面を開いた。
ラインを交換したあと、ショウくんは何事もなかったかのようにまた次の曲を入れて、天井近くに掛かったT V画面に表示される歌詞を目で追いながら歌い出した。ショウくんに好意を示されたことでなんだかムラムラしてきたので、私はバーカウンターの下でアキトに今日の仕事終わりに会えないかラインした。


もう結構寒くなってきたね
私はアキトとの2回目のセックスを終えてからずっと彼の腕にくっついていたけど、それでも全身に満遍なく少しだけかいた汗が冷えて冷たくなってきたのを感じてそう言った。
足元にある布団かけなよ
アキトは、汗でペタッとしている私の前髪を指の腹でいじりながら、そうすることでまとまってはバラける髪の束をボーッと感情の欠落した目で見ながら言った。
紛うことなき賢者タイム、そのため、
彼が見ているのは私の髪の束ではなく、その手前にある空間だったかもしれない。

アキちゃん布団とって
私はアキトの肩に頬擦りしながら素っ裸でそういうふうに甘え、セックスをするときに邪魔になり、私たち二人に蹴飛ばされてベッドの下の方で丸まっている羽毛布団の方に目を落とした。
やだよ。真夜中からの2回戦で疲れた。リコが呼び出したんだろ。しばらく動けない

ケチ
私はそう小さく叫んでから、枕の上にある安っぽいグレーのプラスチックで出来た照明の光量調整ダイヤルを回し部屋をさらに暗くした。
布団を取っている間にお尻を見られるのが恥ずかしかったからだ。
なんで暗くするの?
アキトはそう意地悪そうな声を出した。ケータイの画面をタップして時間を確認している。
うるさい

てか、昨日結局ワンオペだったの?
私がベッドの下の方から取ってきた布団を横取りして、その中に潜り込みながらアキトが言った。
そう、まりなちゃんが来れなかったからね。なんか最近飲み過ぎで風邪引いたらしいわ
で、ワンオペ?誰もヘルプで来てくれなかったの?
まあ昨日は平日だったし、ガールズバーなんて平日はだいたいそんなもんだよ
私は、8割方占領された布団を引っ張り返しながら身体を布団の下に滑り込ませた。布団の中に入るとT Vもつけていない部屋の静けさから逃れることができたので嬉しかった。

客と二人きりってこともあるってこと?
まあそりゃね
なーんかそれやだなー、とアキトは冗談めかした言い方を嫌味を込めてした。
は?セフレがいっちょ前に嫉妬するんか
そっか、そうだよなー
え、それは困るよアキちゃん
私は、明らかにテンションが下がってしまったアキトの両頬を少し乱暴に掴んだ。そうされることで、彼の表情がより暗くなったので、まずいと思った。

セフレに恋愛感情持ち込んだらアウトでしょ
私は、セックスが始まってからずっとしていた幼女っぽい声色を解いて、大人な声を出してみた。
だよなー。ちょっと今日のリコ可愛すぎて、なんか
アキトはそう言って、ふざけた感じでしかめっつらを作ったけど、その努力が余計に、彼が恋愛を始めてしまったことを指し示していた。
どうすんよ。もう会うのやめる?
私は、生活の中でしばらくセックスが出来なくなる可能性が出てきたことに暗い気持ちを感じながらも、彼への気遣いを見せてそう言った。

いや、これからもそりゃ会うけどさ
だって、明らかに好きになってるやん。そんなん辛いだけじゃない?私はアキトとはセフレだけだよ?初めに言ったよね
私はいつからこんなに冷たい人間になったんだろうと思った。昔はもっと人の気持ちを考えて行動できていたはずなのに。
公園で捨てられていた猫を拾って帰っておばあちゃんやお母さんに、リコは優しいねって頭を撫でてもらえるような子供だったのに。

利他的な行いをし続けた方が自己肯定感が上がるなら、ガールズバーなんかで働かずにボランティアでもした方が良いのかもしれない。
だって、人生の幸せってほとんど自己肯定感でしょ。
それで決まっちゃうんでしょ。
やだなあ。なんかもっといろんなゲージが欲しい。
せめて、他人のジャッジが介在することで手に入る自己肯定感は、ちょっと口の中に含んで味見したらなるだけ早く手放したい。
それに甘んじる自分が気持ち悪いし、許せない。

いや、ごめん、俺が変な態度取った。もう言わないから今まで通り会って
えー、やりづら。せめて気持ちが落ち着くまで会うのやめる?
私はちょっとだけ暗い声を作って、半分本気で、半分意地悪で言った。
いや、その間にリコに別のセフレ出来たら嫌だから今まで通り会う
めっちゃ私のこと好きじゃん。これはもうセフレじゃないよアキちゃん

私が芝居じみた声色を出したため、アキトがクスクスと笑い私もそれにつられる。私たちは、かくれんぼで鬼から逃げている時みたいにコソコソと布団の奥の方に一緒に潜って、そこでは二人の匂いが混じり合っていた。
3回目フェラでイかせてくれない?
え、このタイミング?てかまだ出るの?
今日のリコなんか良いんだよ。めっちゃエロい

アキトはそう言ってよくわからない表情になったので、私は布団を捲り上げてアキトの股間に目をやるとすでに6割方勃っていた。いきなり目の前で青春が始まったことに対して、私は、そのことと自分の温度差に怯んだ。
青春とは気持ちの強さだ。私が持っている気持ちで青春に届きそうなのは怒りだけなので、彼の青春は眩しかった。

彼が今日の私を気に入っているのは、私がムラムラしていたからだと思う。夜中に急に呼び出した衝動性も伝わって、1回目のセックスは前戯も短くお互い暴力的だった。
丁寧な生活と生活感のない雑な生活を、どちらが良い悪いでは測ることができないのと同じく、暴力的で雑なセックスも、前菜から綺麗なお皿に盛られて出てくるようなセックスも、その時の気分次第、その時の二人の気分があっていればなお良い。

私は、私の影響を受けて目の前で弱っている男を見ても、映画や小説の中の出来事としてのようにしか感じられない自分がいることに気づいた。
そして、私はその物語的な意味を客観的に見て、彼の今のクソダサい状態を少し可愛らしいと感じて、彼の脇に頭を乗せたまま、順調に育っていっているペニスを右手で軽く握ってゆっくりと上下させた。


お酒って心の痛み止めでしょ。
私はいつも「痛くないなんて嘘だ」って思いながら、つまり毎日の地獄みたいな痛みを肯定するためにお酒を飲んでいる。
この誤魔化しが効かなくなるのはいつだろうと怖くなるけど、
お酒を飲んだくらいで誤魔化せる日常に私は生きているなら人生なんてちょろいはず。

まりなちゃんそれ違うよ。
まりなちゃんは二週間前に入ったニューキャストなので、まだお酒の作り方を覚えきれていない。
体型は私と似ている。小柄で、巨乳。小柄特有の子供っぽい声質。あと酔っ払うと声が大きい。ヘアスタイルは私が黒髪ショートで、彼女が軽い茶髪のロング。
でも彼女の方が私より2カップくらい大きそうだ。
私は、お客さんからの人気が上がるのだとしても、胸元を露出した服を着るのには抵抗がある。
でも、まりなちゃんはお客さんの相手をし始めた時から谷間をしっかり見せる服を着ていたので、すごいなと思った。私には真似できない。

お仕事帰りですか?
俺、今仕事してないんだよ。体壊しちゃってさ。
若い色白の客がジンジャエールの入ったグラスをくるくるまわしながら言う。
メンタル系?
違うよ、メンタルは元気なんだよ。でもなんか代謝が悪くなって体力がないんだ。映画館に行くのも一苦労でさ。
病院は行ったの?

うん、行ったよ。あらゆる検査をしてもらっても異常なしって。
だから虚弱体質かも。母親が身体弱いからさ遺伝だよきっと。俺は大学くらいまでは普通だったんだけどね。
まりなちゃんそれ違うってば。こっちのグラス使って。
私はまりなちゃんが2回連続で同じ失敗をしたので、さっきより口調がキツくなったことを申し訳なく思った。

運動したりしてさ、体力増やそうとしてるんだけど。なかなか増えないんだよ。やりすぎたら体調崩すし。
色白の客がそう言い残しトイレに向かう。もうこの2時間で3回目だ、体が弱いことと頻尿に関係はあるのだろうかと考えた。

リコちゃん、お酒奢るから一曲歌ってよ。俺、リコちゃんの声好きなんだよなあ
なんか可愛い曲がいいなあ。
カウンターの端に座っている常連さんからリクエストが入った。彼はなぜかいつもサングラスをかけている。
え、やったー。何歌って欲しい?キューティーハニー?
私はこの店の壁一面に貼られたワインレッドの壁紙から連想してみた。血の色だ。
ふざけてない可愛い曲がいいなあ
何それ
大塚愛とか

名前は聞いたことあるけど
え、そんなに世代違うの?
あれでしょ、さくらんぼの人でしょ
あ、まりなちゃんそれ違うよ
お金を介して自分が女として消費されることは、心がすり減るかなと初めは思っていたけど、むしろ皆が露骨にちやほやしてくれるので、アイドルになったような感じがして正直気分が良い。
好きじゃない人にも可愛いって言われたい。傲慢さを糧に努力をすることは愚かなことだろうか。
そんなの明日になってもわからない。


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