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どん底人生からの復活 そして看護師への道

こんにちは。自己実現メンタルコーチのしんかいです。今日は「お題に参加」してみようと思います。

私は現在コーチング業と看護師という好きな仕事を2つしておりますが、その一つの看護師での出会いについて今日は書いてみます。

看護師を始めたのは、34歳でした。そんなわけで、私は社会人を約15年経験した後に看護師になっています。

20代は営業職でトップに


20代は商社とメーカーの営業職を10年くらいしていました。無口な私は営業なんていかがなものか、と思いましたが、それを選んだのはそれしか選べなかったからなのです。

約30年ほど前、ネットの普及もない中で、高卒である私が出来る仕事で、なおかつ一人暮らしをするだけのお給料をもらえるのは、私の唯一の資格であった運転免許証を使った「運転の仕事」か、「営業の仕事」くらいしか探せませんでした。

しかし、無口な私は3年の種まき期間を経て、営業成績がみるみる上がっていきました。その理由は色々とあるのですが、大きな理由としては、私の真面目さと無口と傾聴力でした。

お客様とのどんな小さな約束も真面目に守り、話を聞いてほしい方たちの話を良く聴けば聴くほどに営業成績が上がっていったのです。

成績を上げ続けた私は出世をすることとなりましたが、出世した後から、どんどん歯車が狂いだしてしまいました。

20代で全国トップの成績を上げ続けた私は、誰よりも仕事が出来る人間だと勘違いをしてしまいました。そのため、自分の部下に対し、「なんでそんなこともできないのかと、傲慢な態度をとり、天狗になり、部下を信じずに、なんでも自分で全部やってしまう」という最悪なことをしていました。

そんな私についてくる人はいるはずもなく、私は孤立し孤独を感じていきます。そんな最中、プライベートでも、次々と困難がやってきて、気力もなにもかも失い、社会人としてはじめてのどん底を味わい、退職という道を選ぶことにしました。

「あなたなら、出来るよ!」


もしかしたら、結婚も出産もせずに一人で生きていくこともあるだろうと考え、歳をとってもずっと続けられる仕事をしたいと思い、そこで選んだのは、全く畑違いの介護施設の介護職員でした。

無資格で雇ってもらえる。そして、夜勤もあるのでお給料もそこそこもらえるため、一人暮らしするには十分な収入を得ることが出来る。そして、なんといっても私はおばあちゃんが大好きだったので、お年寄りに親切にできる仕事なら出来るだろうと思いました。

そして私は介護施設で働くことになります。
それはそれは、大変でした。認知症専門のところでしたので、昼夜様々なことが起こります。そんな中でも、私はお年寄りが好きであることがベースにあったため、日々介護をしていく中で、利用者さんに対し、愛情をもって接することにより、自分自身もどんどん満たされていきました。

そのような中で出会いがありました。知識もあり、人間性もある看護師さんとの出会いでした。無資格の私に出来ることは限られていましたが、看護師さんはケアだけでなく、医療の知識を持って処置もしていました。そして、なんとも素晴らしいあたたかな人間性も持ち合わせていました。

そんな看護師さんと夜勤が一緒の時に、「私も看護師になりたかったな~」と話をすると、「あなたなら、出来るよ!」っておっしゃってくださいました。

30歳過ぎて、看護学校に行くなんて、考えてもいませんでした。
けど、言われてみれば確かに、私は家族がいるわけでもなく、時間に自由がありました。

自分自身がいつのまにか制限をかけていました。

「30過ぎて、看護師になるなんて、そんなこと出来ないだろう」と考えもしていなかったけど、「本当に出来ないのか?」と自分自身に日々問いかけていました。

「出来ないかもしれない」を「出来ちゃうかも知れない」に

そのうちに、こんな悩んでいても何も変わらず年月ばかりが過ぎていくばかり。いつまでもウダウダ考えていたって、何も変わらない。

そうだ!「出来ないかもしれない」じゃなくて、「出来ちゃうかもしれない」と、思おう!

「出来ちゃうかも知れない」と発想を切り替えたら、私の脳裏には、幼き頃に憧れたキャンディーキャンディーやナイチンゲールの姿が浮かびました。

「私も、そんな風に知識と技術をもって、人の命を助けられるような人間になりたい」と強く思い、看護師になろうと決心し、覚悟を決め動き出しました。

そこからの私は生活費以外のお給料とボーナスを全て貯蓄に回し、看護学校の資金を貯めることを始めます。貯金と勉強に励み、2年後にはある程度貯まり、その貯蓄と東京都の修学金を最大限お借りして看護学校に飛びこみました。当時、私は32歳でした。

32歳で一人暮らしをしながら、勤労学生をしました。無資格で働きだした介護施設で身に着けたスキルと知識で、国家資格の介護福祉士も取得していましたので、看護学校の隙間時間には、訪問介護の仕事をすることが出来ました。

看護学校に入って知ったのは、専門書の値段の高さでした。知人のやっていたカラオケスナックでも少しお手伝いをし専門書の足しにしました。

そこに来ていた常連の歯科医師の方が、「専門書って、高いよね。良かったらこれで買って。あなたなら出来るよ!」と5千円のチップをくださったことは、一生忘れることのない思い出です。

私のビジネスの出会いというのは、人生を変えた出会いでした。「あなたなら出来るよ!」という魔法の言葉で人生を救われた私は、今看護師として、そしてコーチとして「あなたなら出来るよ!」って、人の可能性を信じ、人の応援をしています。

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読んでくださり、ありがとうございました。

自己実現メンタルコーチ
しんかいさんこと新海智子
オフィシャルHP



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