気になりすぎの外出 日記2023/01/23
今日も外に出た。
いつものことだけれど、人が気になって気になって、とても疲れる。
イライラしたり、怯えた気持ちになったり、焦燥したり。
こういうとき、スマホで気を紛らわすのも一つの手ではある。
けれども、画面が人に見られていないかいつも異様に気になってしまうため、結局、スマホの使い心地も自分の気持ちも落ちてしまう。
ほんの一瞬、途切れ途切れにスマホに集中できることがあるので、そういう瞬間には人を気にしないでいられる。
今日の私のいで立ち。
眼鏡をかけて、メイクは眉毛だけ。髪の毛も整っていない。
私は、どこかでは常に自分を醜いと思っている。
そのため、そんな醜い自分をメイクで誤魔化すことすらしていない自分に、何度も気持ちが乱れた。
本当にみっともなかった。恥ずかしい。気持ち悪い。惨め。気持ち悪い。
それから、静かな場所へ足を運んだ。
静かと言っても、少し離れた場所に人はいる。
そのため、特に最初は、物音を立てないようとても気を張ることになった(一応ついたてで仕切られているので、音以外については基本的にあまり気にしなくてもだいじょうぶだった)。
飲み物を飲み下す音が聞こえていないか気になったし、音を立てる度にうざいと思われていないか気になった。
こういうときにイヤホンをすれば、周りの物音も、自分の立てる物音も聞こえなくなるから、どこかで気にならなくなる部分もたしかにある。
けれど、自分の立てる物音を耳で確認できなくなる分、とりわけ「自分の息の音がうるさくないか」が気になり出し、落ち着かなくなってしまう。
そして、息を十分にできなくなるので、やや息苦しくなる。
その他にも、自分の後ろを歩く人や、前からやってくる人、ともかく私のことを認識しうる人たちほとんどのことが気になった。
とにかく落ち着かなかった。
お出かけの最中、「ここに自分一人だけなら、まったく気持ちが違うんだろうな…」と、夢想してみることもあった。
そんなことはまず叶わないけれど。
……と、ここまで気になる気になる書いてきた私だけれども、一応わかっている。
気になるのは私が悪い。
私の場合は、私が悪い。
断っておくと、他の方々についてはそうは思わない。
何か色々な事情がいつも浮かぶから。
他方、私は本当に丈夫で、ろくに繊細さも持ち合わせていない人間なのだ。
ならば、良い鈍感さ(多少のことは笑い飛ばしてみるようなそんな鈍感さ)を持っているのかというと、残念なことに悪い鈍感さ(他人を傷つけるような鈍感さ)だけをきっちり持っている。
しかも私は、自分について明らかに悪人よりの人間である自覚がある。
これまで、何度もそう感じる出来事があった。
たしかに、こんな私でも優しい(感じの)振る舞いをすることもできるけれど、本当のところでは優しくなどないのだろうと感じている。
だって、本当に優しい人を見たとき、私はいつも自分の偽物さ加減に愕然としてしまうから(そして、そういうことは、自分以外に目を向けさえすれば日常茶飯事だから)。
そう、私はそんな人間だ。
それなのに、色々気にする。
勝手に気にしている。
気持ち悪い人間だと思う。
早く治せばいいのにと思う。
気持ち悪いと思う。
私には治さなければいけないことがたくさんある。
私の場合、それらは自分で勝手に散らかしただけだから、四の五の言わずさっさと自分で片付ければいいだけのこと。
それなのに、「気になる」とか「疲れる」とか、本当に気持ちが悪いと思う。
私の「疲れる」には正当性がない。
もう永遠に言わなければいいのに。
そんなことを思う。
私の中に、好いものがない。
ʕっ•ᴥ•ʔっ⛄