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僕の壮絶転職記④(2社目:第二新卒)

初めての転職

新卒入社した会社を2ヶ月で辞めた僕は、第二新卒枠での再就職を目指し再び就活を開始した。初めての転職活動だ。

第二新卒といっても募集している企業はそう多くなく、求人を探すのに苦労した記憶がある。

ようやくこぎつけた面接で、ひたすら面接官に罵倒されて帰らされるだけの時もあった。

長期化するかもしれないと思い、就活をしながらバイトを探してみたが、すぐにやめる可能性のある人間を雇ってくれるところなどなく、それも決まらない。

この時期はどんどん八方塞がりになっていく気がして、毎日がとても辛かった。

働いている人、スーツを着ている人を見るだけで劣等感を感じるようになり、自分がとても惨めに思えた。

駅や街ですれ違う人は皆、それぞれの人生と向き合い、社会の一員として世界に関与し、毎日を生きている。
それがとてもカッコよく見えて、僕は同じように社会に関与したいと思ったし、今更そんな事に気づいた自分をつくづく恥じた。

そんな状況でもまだ、具体的にやりたい事を見つけることはできなかったし、それにはまだまだ時間がかるように思えたが、それでも働かなくては生きていけないし、働いて社会に関与したいという思いは日に日に強くなる一方だった。

人より気づくタイミングが遅かったけれど、この時そう思えたことは大きな成長だったと思うし、辛かったけれど必要な期間だったと今は思える。

2度目の入社

そして、社会に無所属だった虚無の期間が2ヶ月を経過したころ、僕はようやく1つの企業から内定をもらうことができ、第二新卒枠で再就職をした。

そこは法人向けの通信サービスを企画し提供する会社だった。
僕はとにかくスーツを着て働きたかったし、これ以上虚無の時間を過ごすことに耐えられそうもなかったので、そこに就職することを決めた。
とはいえ、それは決してネガティブでも適当でもなく、通信というインフラに関わる分野への純粋な興味と、面接官だった事業本部長とマネージャーの聡明さに惹かれたというのが大きな理由だったと思う。
虚無の自分と、面接で正面から向き合ってくれたのも嬉しかった。

入社した僕は、仕入れ側の請求処理をまとめる事務の仕事、海外通信キャリアとの料金折衝などの担当となる。

事務処理に関しては、エクセルなど触ったことがなかったし、インターネットエクスプローラー以外知らなかったから、PC立ち上げ後に画面右下に召喚される「※謎のイルカ」を消す方法が分からずに、先輩社員に消し方を聞くことから仕事が始まった。

※エクセル2000に搭載されていたヘルプ機能。
 それがオルカという名前だったことを、この記事を書く際に知った。

エクセルにパワーポイントにワード、おおよそ社会人として必要とされるofficeソフトの使い方はこの会社で習得することができたし、謎のイルカを消せなかった僕を優しく育ててくれた先輩や上司には今でもとても感謝している。

当時はまだ若くて、会社と自分の間に壁を相当貼っていたから踏み込んで仲良くなることはなかったけど、もっといろんな人と積極的にコミュニケーションを取ればよかったなぁと今でもふと思うことがある。いい人が本当に多い職場だった。

当時の事業本部長からは、仕事を通していろいろと学ばせていただいたし、そこで得た経験は今の僕の社会人としての礎となっている。ロジカルに物事に接するということを徹底して学んだ気がするし、おかげで数字にも強くなった。

国際通信分野はその会社でも恐らく業界の中でも比較的花形で、なぜそのポジションを社会人経験皆無の僕に任せたのは謎だったが、海外キャリアとの折衝や、MS-DOSで行う通信ルート設定のオペレーションなどは本当に楽しかった。
毎月、日本に拠点を構えるいくつかの通信キャリアとの間で「日本⇔○」「○⇔日本」間の国際通信料金を交渉し、確定した料金テーブルにしたがって安くて品質の良いルートを日々設定するという仕事は、世界規模のコミュニケーションの根幹を担っているという責任と、それを誰かに提供しているというやりがいを存分に味わえるものであり、また同時にとても緊張感のある仕事だった。

このnoteの記事も、もしかしたら「世界中の深海を這う海底ケーブル」を経由して、陸揚げ先のいくつもの基地局を経てどこかの国の誰かのスマホやPC上で表示されている。かもしれない。

それと、海底ケーブルの名前はいちいちカッコいいのだ。
【※SEA-ME-WE3】とか、センスの塊のような名前はいまだに覚えている。ここらへんも掘り下げるとキリがないので、興味のある人は調べてみて欲しい。きっとロマンを感じるはずだ。

※ヨーロッパ/アジア/中東を結ぶ海底ケーブル

2度目の転職

けれども、国際通信は確かに通信分野の花形ではあったものの、テクノロジーの発達によって「電話」を通して行う口頭コミュニケーションやそのトラフィック総量は年々減少していたから、僕が担当していた2年目の途中に事業撤退となった。

本来花形である仕事が、入社したての僕に任されていたのは恐らくそういった背景もあったからだと思うが、だからこそあの年齢で得難い経験を沢山詰ませていただけたと思っているし、とても感謝している。

そんな中、取引先だった外資系の通信キャリアから、人員に空きができたから来ないかと転職の誘いをいただくこととなる。

僕は、自分の会社の人とはあまり踏み込んだコミュニケーションはしていなかったが、取引先の方とは比較的濃いコミュニケーションをさせていただいていて、仕事の話や自分のキャリアの話とかは折に触れてよくしていたし、彼らも僕の状況や想いは認識してくれていた。

自社では事業撤退となってしまったが、国際通信のフィールドにはまだ未練があったし、この仕事をし始めて割とすぐに通信キャリアで仕事をしてみたいと思っていたから、この誘いに乗らない理由は何もなく、僕は2度目の転職を即決した。

(続く)

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