今年の1月に、やるべき目標として「書評を書く」を掲げた。 書評を通じてのコミュニケーションに憧れがあったのか、 あるいは、感想で酌み交わす楽しそうな光景を遠目に見て、 仲間に入れてほしかったのか。 ハッキリ言えばどちらも正直な感情であるが、 じゃあそのために具体的な準備をしてきたのか。 振り返ると沈黙する。 沈黙が金を生まないまま、季節が夏を迎えた頃、 敬愛する、ひろのぶと株式会社より1冊の本が出版された。 【伝えるための準備学】 著者:古舘伊知郎 である。 絶好のタ
四十肩のリハビリで日々ストレッチを行っている。 朝と夜の2回。理学療法士に教えてもらったメニューをこなす。 最初は片手で収まる数だったが、なんだかんだで10種近くに増え、 30~40分ほど時間を割くことになった。 みっちり仕事をこなし、寝る前にストレッチをしていた時、 思い出した言葉があった。 極意は呼吸 伸ばすことだけがストレッチに非ず。呼吸を意識せよ、と。 確かに、肺が膨らむと内側からも伸びている感覚がある。 筋を伸ばして深く呼吸をして、内外から伸ばしていく。 気持
10月になってようやく暑さが和らいだ。 外出しただけで嫌な汗が流れる猛暑が終わると、 夏フェスのシーズンも終わったんだなと少し寂しくなる。 そしてふとしたきっかけで、一年前の記憶が顔を出してくる。 初めて行った2023年のフジロック。 たった一日だけの参加だったのに、これほどまでに主張をしてくる。 この感覚は何かに似ている気がする。 FOO FIGHTERSの夏2023 『FOO FIGHTERSをどうしても見たい…』 初めてフジロックへ行くと決心したのは、ヘッドラ
noteを始めてみようと思い立ったものの、 「自己紹介から」と出合い頭にこの文言を見て、身構えてしまった。 公共の場ではまず自分から名乗るのが礼儀であるから当然だ。 でも、とことん苦手なのだ。自分棚卸しというやつが。 だがしかしだ、 そういうのを避けてきたことを改めるためにnote始めたんだろ?と、 気を引き締めて考えてみる。 「自己紹介」といっても、自由研究の様に範囲が広い。 時と場所によって発する内容は変わってくる。 TPOに合わせて、というやつだ。 例えば、私が好
Twitter(現:X)を眺めていると、こういう言い方があったのか!とか、 なんでこんな言い回しが出来るのだろうか?と感心することがある。 引き出しの数が違うのか、引き出しの中身が違うのか…。 しかも開け閉めが速い。摩擦係数が0に近い高品質の引き出しだ。 あとになって、あれはこういう言い方が正しいかな? 本心に近いのはこの言葉かな?と感じることが増えてきた。 言葉を紡ぐ際に開ける引き出し。どうにも滑りが悪いように思える。 ※中身の問題は一旦置いといて。 つい最近も「あれは