【詩】心臓には形がある
象徴することを「象る」と言うのはどうしてだと思う?それはね、なにかを象徴するってことが、なにかを「型取る」行為に他ならないからだよ。
もう誰が言っていたのかも忘れてしまった。
後になってわたしが調べても、そんな事実が出てくることはなかったから、その話はきっとそのひとが思いついたでたらめに違いないのだけれど。それでも、わたしはその言葉がずっと忘れられないのだった。
わたしは今日も人を好きになります。人を嫌いになります。誰かに恋をするし、誰かを殺したくもなります。そこに嘘偽りはないんです。わたしの感情は今日も明日もきっと混沌のなかにいる。渦巻いている、そんな言葉もぜんぜん大袈裟じゃないと思うんです。暴風みたいだと言ってしまっても納得できるくらいなんです。けれどもどうしてなんでしょう。それらにもとから形があるように思えてしまうのは。
誰かが今日も、心を太陽に喩え、月に喩え、花に喩え、空に喩えます。そのたびにわたしの心は進んでいくべき道に沿って進んでいるかのようなんです。
ああ、これが象るってことなんだね。わたしの感情のすべては型のなかに流し込まれた液体のようで、それらが次第に固まって好意になり、嫌悪になり、恋情になり、殺意になって、そんな風に型取られていくんだね。
感情は花鳥風月が揺れ動いて形になっていくんだ。言葉が渦巻いて感情が認識できるようになるんだ。だから本当のところ、わたしなんてものは、どこにも存在などしていないのでしょう。
ああ、わたしの心臓の形はきっと、どこまでもハートの形をしています。