【詩】廊下

「学問って言うのはね、物事をどこまでも他人事として見るから成り立つのですよ」
そんな風に言える先生を、わたしはどこまでも先生だと思っていて、体育館のステージも、棟と棟を繋ぐ渡り廊下も、帰り道を歩いているときも、もちろん教室も、そのどこにいるときも、先生が喋っているあいだは授業が執り行われるのだ、そう考えながら、先生のことをまるで一筋の星を見るみたいに眺めていたのだけれど、本当は先生以外のものがただ見えていないだけだった。先生が言っていたことは、たぶん先生の意図に反するように的を射ていて、人々が街中を歩くのも、何かを見て感動するのも、誰かと恋に落ちるのも、ぜんぶがぜんぶ授業風景なんだと気付くとき、わたしも誰かにとってはただの授業素材なんだと知って、先生がわたしの視界から霞んでいった。
好きと言うことすら注釈が必要なわたしは、いつまで経っても教室から抜け出せずにいる。きっとそれは先生も同じで、やっと廊下に出ることができた、その一縷の希望をなんとか自分のなかで保ったまま逃げ出そうとすると、「廊下を走るな」と先生ではない誰かに呼び止められ、結局そこから抜け出すことができずに、罰として愛と恋についての論文を書かされるのだ。
でも、苦にはならない。きっとわたしは一生論文を吐き出しながら生きているだろうから。
ラブレターなんて書けないし、わたしの気持ちは伝わらない。きっと一生伝わらない。

好き、好き、好き、いくら言っても、愛も恋も、この世界が産まれたときから学問です


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