なぜ傷つくか
同じ言動でも、傷つく人と傷つかない人がいる。
この場合、分岐点になるのはなんなんだろうか。
結婚式の加害性を思い出した。
「結婚式は傷つくからやめろ!」という主張。
気持ちは分かる。
でも傷つかない人がいるのも分かる。
他人の結婚式に傷つく人と傷つかない人がいる。
この違いってなんなんだろう。まあ性格の違いって言われればそれまでなんだけど。
原因
結婚式もそうだが、たしかに人それぞれ傷つくものと傷つかないものがある。
自分が欲しているか
この《宇宙飛行士》や《パイロット》で罵られる場合、自分が宇宙や飛行機に興味が無ければ気にしないでいられる。
でも宇宙飛行士になりたいと願望があったら?
パイロットになりたい願望があったら?
多分嫉妬する。
羨ましいから。
でも自分には手が届かないから傷つく。
無理もないだろう。
周りの人はできてるかどうか。
結婚も、ごく一部の人間しかできないものならば、加害性も抱かないと考える。
周りの人が続々と結婚式を挙げてるから、比べてしまってコンプレックスになるのだと僕は考える。
なんでもそう。
それこそ周りの人が続々宇宙飛行士やパイロットの免許を手にしていたら、傷つく可能性が爆上がりすると思う。
それに加えて頻繁にコンプレックスを刺激されるような発言や文章を目にすると、もっと可能性は上がる。
「結婚して一人前だぞ」
ドラマ《まだ独り身でいるつもり?》
etc…
僕は周りの人がみんな免許を持っていることを知り、焦った。取れないことに傷付いた。
大学とかもそう。
意外と大学に行っている人が多くて焦った。それでも自動車免許ほどではないので傷つかなかった。
大学進学者が多数派になればなるほど、僕は劣等感を感じて傷つくだろう。
「高卒……俺だけ……?」
正しい感じ方
なら何も感じないのが正解なのか。
傷つくことはない。
でも傷つく感性がないということは、好く感性も無さそうじゃない?ロボットみたい。何も感じないんだもん。
身も蓋もないが、感じ方に正解は無い。
それは性格や好み、という言葉に集約される。
多数派か少数派かの違いなだけ。
僕はチョコミントが好きだが「歯磨き粉みたい!」と言ってチョコミントを嫌う人の感性が間違っているとは思わない。チョコミントを嫌う人が、多数派だろうと少数派だろうとそう思う。
あと爬虫類もそうだ。
僕は爬虫類好きだけど、嫌いだと言う人を間違ってるとは思わない。この場合は爬虫類が好きな方が少数派なんだろうけど。爬虫類が好きなのって自分に原因がある?狂ってる?というのはなんかズレてる気がする。結局趣好。
《原因がある》というより《理由がある》という言い方がいいのか?
引用、参考動画