世の中に100%の事実ってあるのだろうか
嫌なことに向き合う時。
どうすればストレスを和らげられるのか。
デカルトは《確実なもの》から考えることを推奨している。
何が嫌かをハッキリさせよう。
物事の見方は人それぞれ違う。
デカルトとは
1596年のフランス出身。裁判官家系の裕福な家庭だった。
近代哲学の祖。
天動説の教育に疑問を抱いたデカルトは、正しさの証明を探求しようとする。
数学には確実性があると考え、数学の道に進む。
《1+1=2》なのは確実。
正しさは万人共通。
他の学問は、正解が万人共通の認識じゃない。
神を信じている人はいるが、全員じゃない。
そもそも神が実在しているかどうかも分からない。
我思う、ゆえに我あり
----今目の前にある物は、現実に存在しているか
疑う余地のあるものは、確実とは言えない。
夢の中にいる可能性もあるし、幻の可能性もある。
だけど認識している自分の意識があるのは確実。
先入観は夢や幻と同じ
金持ち=悪 という構図は、民衆のルサンチマンが作り上げた偏見だ。
先入観で物事を判断すると、人生や世の中が悪い方向に進む可能性がある。
辛さといった感情も、先入観で抱かされてる可能性がある。
周りがこう言ってるから、自分もそう思わされてる。
「鬼滅の刃が良い」と思うのも、周りが良いと言っているからではないのか?
根本の原因
デカルト曰く、物事は因果関係が無いようで、全て繋がっているらしい。
根本の原因を見つければ、全て解決できる。
鎖のように。
仕事が辛いのはなぜか。
⇒給料が上がらないから?
⇒①給料が上がらないのに不満を抱くのはなぜか
⇒②なぜ給料が上がらないのか
⇒②不景気だから
⇒②どうしようもない
⇒③そもそも給料がそんなに必要なのか
⇒①③同世代と比べて劣等感を抱かされるから
⇒①③給料が増えれば劣等感が無くなるのか
⇒①③別の要素で劣等感が生まれるので、給料の問題ではなく優劣をつける考え方の問題
⇒①③人と比べないような、考え方の工夫をする必要がある
ここで注意すべきこと。
根本的な問題は、周囲の意見や価値観では見えてこない。
給料面の不満ひとつとっても、他者の不満を自分がコピーする場合がある。
それまで自分にとってなんとも思わなかった人も、周囲の酷評によって、自分も嫌いになっていく…みたいな。
鬼滅の刃現象はその逆ね。
周囲が好きだと言ってるから、自分も好きだと思わされる。
⇒③そもそも高い給料に価値があるのか
それは周囲がチヤホヤするから、無意識に承認欲求とごちゃ混ぜにしてるのかもしれない。
とにかく、事実と主観を分ける作業を、誰にも邪魔されない頭の中でしなくてはならない。ディスカッション形式だと先入観が入って歪む。
多数派かどうかはなんの価値にもならない。
多数派は天動説を思い込むくらい愚かな集団だから。
問題点
ただ、100%事実かどうかも人間に分からない。
どうしたって先入観や偏見は混じる余地がある。
導き出した結論が事実かどうか、それを正しいと証明する方法はあるのか。
100%はできないだろう。
個人で導きだしても、集団で導き出しても、どのみち導き出しているのは人間だから。
今見ているものが現実ということすら100%確証を持てないのなら、確実性のある数学ですら100%事実とは言えないのでは?
《1+1=2》というのも、今後めちゃくちゃ頭の良い人間によって覆されるかもしれない。
我思う、ゆえに我ありという「少なくとも自分という自我、意識があるのは確実」という理論も、それは自分自身がそう思っているだけで、外部の機械などにそう思わされているだけかもしれないという余地がある。見ているものが夢ではないかと疑うなら、自我も疑う余地が出てこないだろうか。
100%自我があることも証明しきれないと思う。
人間は多かれ少なかれ主観で生きてる。デカルトもそれは同じ。つまりデカルトが正しいと言うことも100%正しいとは言えない。
そのデカルトを正しい評価するのも人間だから、主観が入った上で、デカルトを評価している。つまりデカルトへの「正しい」という評価も歪んでるということ。
人間である以上100%事実な意見も評価も持てないし、それを別の人間が否定したり肯定したりするのも、人間である限り100%はできない。
まあ多分意識や自我は100%あるんだろうけど。
…て言っても僕も人間だし、この意見を評価するのも人間だから、事実の確定は100%しきれない。
参考動画
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