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父について
昔から、『弔辞』について少し違和感を抱いている。
故人への感謝や哀悼の気持ちを葬儀で伝えるのだが、きっと一番聞きたかったであろう人が亡くなっていては、その思いも届いていないのではないか? 「生きているうちに伝えてよ~」って思っているのではないか?
そのような考えを持っている。
ということで、ちょいちょいブログに登場する来月で75歳の誕生日を迎える父について書いてみる。
■幼少期~学生時代
父は栃木県の農家の二男として生まれた。
幼少期は遊びに明け暮れており、古き良き時代&田舎という土地柄もあってか、腹が減ったら畑からサツマイモなどを獲って川で洗って食べたり、蛇を見つけては石を投げつける標的にしたり、友達は小遣いで果物やお菓子を買うところ父はその場で楽しみが無くなってしまう食べ物よりもナイフを買ってオリジナルの遊び道具を制作したり、そんなことをして過ごしていたらしい。ちなみに、動物園や海外などで蛇を首に巻いて写真を撮るサービスがあると思うが、蛇を虐めていた思い出があるので”ガブッ!”と仕返しされるのではないかという思いから蛇に近づくようなことはしていない。
中学時代にはサッカー部のキャプテンとして学校初の県大会3位入賞。
高校は丘の上にあるむさ苦しい男子校へ進学し、線路を挟んで反対側に見える女子高に対し悶々と意識していた同級生達とは今でも繋がりがある。
■社会のために
農家を継ぐことはない二男という立場なので就職活動をすることになるが、銀行の採用試験に落ち、最終的には縁もゆかりもない税務署に勤めることになった。さいたま市の大宮税務署に配属になった時に、母親と知り合い胃袋をガッチリ掴まれ婿入り結婚。それから、母の実家であるさいたま市を第二の故郷とし、父が30歳の時に誕生したのが自分である。
税務署は頑い守秘義務を守らなければならず、自分が大人になるまで父親がなんの仕事をしているのか知らなかった。たまにデカイ鞄を持って週明けにどこかへ出張して週末にフラっと帰ってくることもあり、母親もどこに行っているのが知らず。ひと言も仕事内容を家族に話すことはなかった。
悪質な脱税している悪者を追う精鋭部隊の国税局査察部(通称マルサ)に配属された時期もあり1997年に退職。その後、税理士として独立し、他の会計事務所を引き継いだりしながら現在も現役バリバリ働いている。
2001年には、地域のためにと栃木にある実家の土地を県に寄付し、社会福祉法人を設立。
それからずっと月に何度か故郷に戻りながら現地を訪れ経営している。
働いている人達のため&利用者のためと様々な改革改善を行っていたが、時代の流れから労働組合が発足した時もあった。組合側から「経営方針に従えない!経営陣が搾取している!」などと非難されたが、自分のことに無頓着な父は理事長なのに無報酬であったため、「あれ?」と組合側も肩透かしを喰らい、何も言えず意気消沈したこともあった。
他にも、地域の社会奉仕団体に加入し活動。
・東日本大震災の被災地へ直接寄付
・タイの麻薬更生施設へトラック寄贈
・カンボジアの学校へ文房具や井戸を寄付
・日本人留学生&外国人留学生の支援(いろんな相談や長期のホームステイ先として)
など、現地に赴き対面し、支援を続けてきた。
団体を退会した後も、海外の知人との関係は続いており、洪水などの災害が起こればすぐに連絡を取り、個人的に寄付を行う。
ちなみに、マネーロンダリングや詐欺が横行している昨今なので、海外送金する際に煩雑すぎる金融機関の手続きにブチギレながら寄付をしていた。
■哲学と人柄
そんな父は、徹底した現場主義。
「人証・書証・物証」で判断し、
「数字は語る」
「挨拶・感謝・笑顔」
「職業人である前に人間性が大事」
と、日々素晴らしいことを言っている。
…のだが、所構わずゲップはするし屁もする(笑)
LINEのスタンプも使えるし、ChatGPTも使えるが、
1人で寂しく外食するくらいなら、今でも母の手料理が食べたくて自宅に帰ってしまう。
お茶目な父は、仕事がらみの宴会やイベントで
女装させられたり、宇宙人や猿の着ぐるみを着せられたり、ひょっとこ姿で踊ったり、手品を披露したり、上半身裸で相撲の土俵入りをガチでやったり、香港のバーで現地の若いお姉ちゃんと華麗な社交ダンスを披露して拍手喝采されたり、還暦を過ぎて企業の体育祭に参加した際には50mを9秒台で走り会場を沸かしていた。
仕事も遊びも常に全力で楽しんでいる。
そして、家族や仲間を本気で応援し、時には本気で叱る。
”他人のために全力で行動できる”ことはなかなかできることではない。
知り合いから『至誠通天』という言葉をもらうほど、真っ直ぐな人である。
■100歳まで生きる宣言
今でも人間ドックでは特に異常なし。
たま~に熱量があり過ぎてストレスで目が充血したり、食あたりではなく食べ過ぎでお腹を壊してしまうほど食欲旺盛で元気である。
早朝からゴルフに行き、その後仕事をしたり、会合&会食へ行くことなんてよくあること。
『食事・運動・睡眠』の日々の積み重ねが、今の健康状態を保っているのだろう。
そんな父は、「あと25年生きて100歳まで生きる」と希望を持っている。
あと25年もあればやりたいことが多すぎて、生きるパワーが漲ってくると言っている。
父と一緒にいる時間が多い環境だからこそ、いろんな面を見てきたと改めて思う。
そして、近くにいるからこそ学ぶことが多く、歳を重ねるごとに懐の深さや人情味あふれる人柄に感心する。
お互い、健康に気をつけながら頑張りましょう!