読書家の定義 ①

『うちのきょうだいって、割と本を読むんやな…』
 そんなことにふと気付いたのは、妹が、知り合いからプレゼントされたという話題の小説を、私にくれた時だった。
 正直、私の妹はアホだ。と言ってしまうと、本人の怒りを買いそうなのだが、同じく私もアホなので、同等だと言っておく。アホはアホでも、キャラクターがアホというのではない。私も妹も、勉強がからっきしダメだという点で、アホなのである。つまり、教養というものに乏しい。
 私が彼女を〝アホ〟と言うのにはそれなりに理由がある。その確固たる所以とは、文章に誤字脱字が多いことだ。そして恥ずかしいくらい漢字を知らない。
 私と彼女とは、同じくらいの知能レベルだと思う。出身校の偏差値も、似たり寄ったりだ。唯、進学したアホアホ学校に於ける低レベルの争いの中で、私がそれなりに優秀だったのに対し、授業をサボっていた妹は、流石にそれなりのままだった。そこで多少なりとも差が付いたのだろう。
 因みに、私はアホだが、マニアの領域に踏み込む一歩手前の漢字マニアである。依って、文章などを書いてみると、一般的にあまり使わないような言葉も漢字で書いてみたりするので、私のことをアホだと気付かない人もいる。ある意味欺いている私は卑怯者かも知れない。
 一方、妹は、自主的に習って唯一長続きした習字のお陰で、恐ろしく綺麗な字を書く。なのに学生時代の変なブームに便乗して、毛筆以外では、丸っこくて無機質なロボットの様な字を書くようになってしまい、現在に至る。筆を持たせれば、嘘でも知的な印象を与えられるのに、とても勿体ない。ペン字が汚いせいで、賢いフリすら出来ないのである。
【能ある鷹は爪を隠す】と言うが、そういう次元の話ではない。恐らく、人に馬鹿にされることに腹は立てるが、賢いフリをしようという意思もないのである。
 飾らないのは素敵なことだ。自然が一番!しかし、他に自慢出来るような長所に溢れているわけではないのだから、字くらい本領発揮して書けば良いのに…と思う。とはいえ、長年付けて来た癖は〝癖字〟となって、容易には元に戻らないらしい。筆を持てばまともな字になるというのは、ペンと筆では力の入れ方や持ち方を含め、書き方自体が違うせいであろう。本人にその意思もないのに、今更〝普段使う方の字〟を何とかしろと言ったところで、無理な話なのかも知れない。
 それにしても、妹はそこそこ本を読む。自身の興味やニーズに応じて選定する私が読むそれとは違い、話題作など大々的に宣伝されている物であったり、逆に、何処で見つけて来たのかわからないようなマイナー作品であったりするのだが、勧められたり譲り受けたりして読んでみれば、それなりに『おぉっ』と思えるものを読んでいる。
 しかし、本を読めば漢字や言葉を覚える=多少は賢くなる…というのは、読書をさせるために幼少の子どもに叩き込んで来た、単なる親の言い分であって、必ずしも正論では無かったということなのかも知れない。妹は本当に漢字も言葉も知らず、時々真面目な表情で有り得ないボケをかましては、私を吉本新喜劇のようにズッコケさせる。
 先日、駅まで送るついでに返信が必要なハガキを、駅前のポストに投函してもらう為に、助手席の妹に預けた。その時、宛名に続く〝宛〟を消して〝御中〟に書き換えるのを忘れていたことに気付き、急遽書き換えを頼んだのだが、何せ漢字を知らない妹である。
「〝御中〟ってどんな字かわかる?」と思わず確認。そして怒られた。
「それぐらいわかるわ!社・会・人!」
 自分を指差しながら、常識だとアピールする。
 見ると、相変わらずの癖字だが、ちゃんと〝御中〟と書けていた。「〝御中〟、意外と使うねん。」と、ニヤっと笑ってみせる。普段使う字だから、一応書けるということらしい。

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