不味い蜜柑 ②
兄が夭折したことで長男として育ち、自分が生まれた家で死んでいった祖父。病院で生まれ、病院で死ぬことが増えた昨今、自分が生まれ育った家で死んでいった祖父を、私は心から羨ましいと思った。
生まれた家で死ぬ。後にそれが出来る可能性が残されているのは、家を継いで今も実家で暮らしている母の上の弟、私にとっての叔父だけ。隣町で生まれ、嫁いできた祖母も、家を離れた母やその下の弟も、そもそも家ではなく病院で産声を上げた叔父の子どもたちも、生まれて育った家で死ぬ…ということは出来ないのだ。
海を前に、山を背に…という私の印象である母の実家とは、実際は、山を前に海を背に…である。坂を上った先にある家の、辿り着いた道の先にある扉は勝手口で、正面玄関はその裏側。山の麓にあるのだ。変な造りだと思いながらも、ここいらではそれを変だと思う人がいるのかいないのか知らない。道を挟んだ隣家も同じだからだ。
正面玄関らしからぬその場所の先は、中庭である。植木屋だった祖父が手入れしていたそこには、松の木をはじめ、和を装った数々の植物で溢れている。中庭と言っても、囲いがないので庭という感じがしない。庭の奥には畑があり、庭と畑の間に低い柵がされているのは、イノシシ対策のようで、畑の向こうはもう山なのだった。
敷地の横は山道になっている。下ればそこには谷川があり、母が里帰り出産をした折には、祖母がおむつを洗いに行っていたのだとか。
『家で洗わないのか…』と考えるのは、我々が上下水道の整った都会で暮らしているからで、山や川や海や森が手の届くところにある生活とは程遠いせいかも知れない。
谷川に続く道に入る手前は崖になっていて、安全柵など設置されていないため、下を覗くだけで恐ろしかったのは、今も昔も変わらない。幼少時は食べた後のスイカの皮とかトウモロコシの芯なんかを放り投げて捨てていた気がするが、今はしていない。自然に還るものを還していただけなのかも知れないが、還らないものを投げ捨てる輩が出てきたせいで、還ろうが還るまいが〝ポイ捨て禁止〟令が下ったというような話を聞いたような聞いていないような…。
山道は、登れば道なき道を通って、やがてみかん畑に辿り着く。登山道ではないので、本当に道なき道であり、頭上から木の枝葉や蔓が作った自然のトンネルを幾つも潜る。
幼少期に母親を亡くし、千度苦労したものの、実家が庄屋の土地持ちで、畑には困らない家で育った祖母が、決して豊かではない祖父の元に嫁いだ後、〝買うもの〟では無かったみかんを、買わなければ手に入らない生活環境を嘆き、更に苦労を重ねて手に入れたみかん畑は、そんな道をぐねぐねと長らく登った先にあった。
祖父が亡くなった後だったのか、記憶が定かではないのは前述したが、付いて行った覚えがあるのは、丁度少し収穫出来る程度の秋の盛り。〝早生〟ではなく、〝奥手〟の品種を多く栽培していた祖父母のみかんは、山道に面して何十本も植えられた畑らしからぬ斜面の木々にたわわに実を付け、しかしまだ青いものが殆どだった。
畑とは、平地にあるものだと思い込んでいた都会育ちには衝撃的な場所で、みかん畑の傍には玉ねぎなども植えられており、野菜は自宅前の畑に植えることで間に合わないのだろうかと不思議に思った。当時は農作業への知識がまるでなかったので、謎だけで通り過ぎてしまった記憶でしかないのであるが…。
青い実の狭間にところどころ、お日様を思わせる鮮やかな橙色が輝く。採り頃の指示を受けながら、遠足や行楽ですら経験のなかった〝みかん狩り〟というものを、大人になって初めて経験した。
足場の悪い斜面を、忍者さながらに飛んだり跳ねたり、時に上ったり飛び降りたりしながら枝葉の狭間にはさみを入れ、橙色を摘んでいく。かごはあっという間にいっぱいになった。
みかんと同じ、橙色をした四角いかごは、後で叔父に橇を使って降ろしてもらうのだと言う。〝橇〟だなんて、サンタクロースやスキー場でのイメージしかない。雪など微塵も積もっていない山道を、みかんのかごを積んだ〝橇〟が、どのように滑り降りるのか想像もつかなかった。そもそもその〝橇〟が、私の頭に浮かぶ〝橇〟と同じなのかも怪しい。何処に仕舞ってあるのか、今まで一度も見たことがなかったからだ。
大量のみかんが入った、丸くて長いかごについた紐を首からぶら下げ、祖母が山道を下る。何で出来ているのか知らないが、自然素材のそのかごには山のようなみかん。それを、抱えるでもなく肩から下げるのでもなく、首からぶら下げるというだけでも驚くのに、何の不思議もないように骨ばった華奢な体で山道を下る姿は衝撃的でしかなかった。
「かご、私が持とうか?」
孫は気遣うが、慣れない山道をおぼつかない足取りで下る若造の方が危なっかしいらしく、逆に心配された。
山の上のみかん畑が気に入って、その後何度か行き来したが、その都度しっかり筋肉痛になった。
山道を、犬と何度も歩いた気がするし、写真も残っているので夢ではなかったはずなのだが、みかん畑にはどの子と行ったのだろう。田舎の猟犬ペクは、未だ祖父が健在だった時に旅立った。命より大事だったチョコは、祖父の丁度二週間前だった。みかん畑には、誰かの死と立ち会う前に、実は行ったことがあったのだろうか。それとも、犬たちと歩いたのはみかん畑とは関係のない山道だったのだろうか。
チョコが亡くなった瞬間、一挙に様々な思い出が消えて行くような恐怖を感じ、全身で拒否して泣きながら慄いていたのに、その瞬間から本当に色々なことを忘れて行くような気がした。気がしたのではなく、本当にその瞬間から押し寄せるように記憶が消されていく感覚があったのだ。みかん山の記憶は、その時消えたものの一部なのかも知れなかった。