あれから丁度1年
11月30日。
元相方とお別れして実家に戻ってからちょうど1年になる。
事の発端は、執筆活動と主婦業との両立が自分の中でうまくこなせなくなり、心身のバランスを崩すようになったことがきっかけだった。
確かに実家に戻ってきて、執筆活動に専念できる時間は得られた。
そのおかげで、書き始めてから5年かかった長編『葵ガ岡盲学校中学部は今…!』をどうにか完結させることができた。
それでも実家に戻ってきてしまった自分への後悔の気持ちの方が強い。
というのも、実家に戻ったのは、心身の療養と執筆活動に専念するためだけではなかったからだ。
その話を今ここで書くとかなり長くなるので、10年後ぐらいに小説として書かせていただきたいと思う。
実家に戻ってきて後悔しているもう一つの理由は、心身のバランスが良くなるどころかさらに悪化したからだ。
もともと折り合いの悪い祖母が、アルツハイマー型認知症になって、私が実家を出た3年前よりも、もっと厄介な人になってしまったからだ。
私は子供の頃から祖母からの過干渉を受けて育ってきた。
祖父が元小学校の先生をしていたので、先生の孫であることと、生まれつき視覚に障害を持って生まれたので、立派な人になれという期待が、他の孫たちよりも強かったのだ。
そんな期待に私はいつも押しつぶされていた。
両親はそんな私に気がついていたのだが、祖母を止めてはくれなかった。
母は嫁という立場上、姑の祖母には言いづらかったのだろうし、父も人の話をまったく聞こうとしない自分の母親に話をしてもしょうがないと諦めていたのだろう。
私の精神を病む直接的なきっかけは祖母の存在だった。
そんな精神を病む原因の大本がある場所に戻ってきてしまったのだから、状態が悪化するのも仕方ないだろう。
それでも病んでいる私が実家に戻ることで、認知症の祖母をデイサービスなどの施設に入れるきっかけになるんじゃないか、そうなれば家族ももう少し楽になるんじゃないかと期待したのだ。
しかしその期待も空しく、祖母は今だにデイサービスに通うのを拒み続けている。
精神を病んだことによるいらいらのせいで、私はこの1年様々な物を破壊してきた。
ミニコンポ、パソコンのハードディスク、ガラ携(おかげでiphoneに変えることができた)、さらには執筆活動で1番大事なブレイルメモポケットまで壊してしまった。
これはまずいと物に当たらないようにしていたら、こんどは自分の髪の毛を抜いてしまうようになった。
その影響で1時期頭頂部の髪がほとんど無かった。
さらには夜中にcdラックをひっくり返したり、携帯を手に何度も打ち付けて右手の平にあざを作ったりと、自分でもなぜそんなことをしてしまうのか分からないような行動や言動をするようにもなった。
そんな状態に、適応障害という診断が付いたのは、今年の7月だった。
精神的な不調にようやく正式な診断が付くまで13年かかった。
今でも月1で心療内科に通院して、薬を変えながら症状と向き合っている。
あれから丁度1年。
こんなことになるのなら、実家に戻らなければよかったと、これを書いている今でもとても後悔している。
でもだからこそ執筆活動に邁進するしかないのかもしれない。
あの時実家に戻ってきてよかったんだと、家族や元相方からはもちろん、自分自身でも心からそう思えるようにしたい。
そのためにも、今は書き続けるしかないのかもしれない。
いや、書き続けていきたい。