点字楽譜のトラウマ
この前の文字起しの長文クラスの授業で、「サイトワールド」という視覚障碍者向け総合イベントの関連イベントに登壇した「全国点字楽譜利用連絡協議会(点譜連)」の講演の記事が取り上げられた。
全盲者である私が、noteの下書きの時にも使っている点字。
点字には50音はもちろん、数字や英語だけではなく、楽譜も表すこともできるのだ。
地元の盲学校の高等部を卒業後、周りの皆と同じように、マッサージなどの理料の道に進まされるのがどうしても納得いかなかったこともあり、地元から離れて音楽科のある京都の盲学校に入った。このことについてはまた後日別の記事で書きたいと思う。
そこで本格的に点字楽譜を習い始めたのだが、これが言葉では説明できないぐらい難しいのだ。50音や数字や英語の点字に比べて、楽譜はまさに暗号である。ご興味のある方は、お手数ですがぜひ1度ググってみてほしい。
全譜連の講演内容の記事の中で「点字楽譜の仕組みは簡単です」というような言葉があったが、「嘘だー、簡単じゃないよ」と心の中で突っ込みながら職員さんが読む文章を必至に打ち込んでいた。
点字楽譜を習い始めた当時、そのあまりの難しさに、まじで泣きながら楽譜を読んでいたのを今でも覚えている。
記事にあった全譜連会長で、全盲のバイオリニストでもある和波さんは、恩師から点字楽譜を覚えることを勧められ、小学校に上る頃には音符を一通り読めるようになったと書いてあった。
だがそれは私が思うに、点字を覚え始めた時に同時に点字楽譜も習ったからだと思う。
まさに泣きながら点字楽譜を読んでいた私に、音楽科の先生は冷ややかに言ったのだ。
「あなた残念だったねえ。点字を習い始めた幼稚部の時に一緒に楽譜を教えてもらっていたら苦労しなかったのに」
点字楽譜の何が1番たいへんかって、数字や英語のように、その記号が何であるかが読めればそれで終わりではないことだ。「ド」なら「ド」の音をその通り正しく歌える、あるいはピアノで弾けなければ楽譜を読めたことにはならないのだ(盲学校の音楽科では声楽とピアノが必須科目だった)。
さらに点字楽譜を読みながら歌ったりピアノを引いたりする場合、点字を読む脳と、それを音に変換する脳と、歌うあるいはピアノを弾く脳と、いろんな脳を同時にフル回転させなければならないのが本当にしんどかった。
あまりのしんどさに、だんだん授業についていけなくなり、人生で初めて精神を病んだほどだった。
点字楽譜の話で思い出すことがある。
ある時同じ科の友人から、レミオロメンの「粉雪」の点字のメロディー譜を読ませてもらった時驚いた。自分が好きで聞いていた音楽は、こんなにもわけの分からない記号の羅列で成り立っていたのかと衝撃を受けた。そして音楽をやるということは、毎日毎日楽譜という暗号と向き合い続けなければならないことなのかと途方に暮れた。このことが音楽を諦めようと思った最初のきっかけだった。
そのぐらい私にとって点字楽譜は苦しい物だった
これはあくまで個人的な意見だが、これから点字を習おうと思っている人で、音楽をやりたい、あるいはやっている人には点字楽譜を覚えておいて損はないが、そうじゃない人には点字楽譜はあまりお勧めしないかも。
音楽科を卒業してからは、点字楽譜にはほとんど触れなかった。
数年前に読んだ児童書『クレヨン王国のパトロール隊長』の最後の方で点字楽譜を見つけて読んでみたのだが、ほとんど読めなくなっていた。音楽科での3年間、あれだけ必至になって読んでいた点字楽譜だったのに…。
音楽科を卒業してからしばらく点字楽譜を読んでいなかったので、物理的に忘れてしまったのか、それとも精神的なトラウマから無意識のうちに抹殺してしまっていたのかは何とも言えないけれど。
現在音楽科を卒業してから10数年がたった。
久しぶりに点字楽譜の話題に触れて、今だったら点字楽譜が読めるかもしれないと思った。というかまた読んでみたくなった。
点字楽譜、および音楽をやることから離れてだいぶたった今なら、あの頃よりももう少し自由に、もっと楽しく読めるような気がしてきた。
そんな風に思えるようになったのも、それだけ点字楽譜のトラウマから心が少しずつ解放されてきたってことなのかもしれない。