勤労に感謝する
今日は勤労感謝の日である。
適応障害と、過敏性腸症候群で自宅療養をしながら、しがない物書きの端くれのようなことをしている全盲の私の今の現状は無職である。
控え目に言っても年金生活者だ。
本格的に体調を崩すようになって仕事に行けなくなったのは2017年。
もう4年もこのような生活を続けていることになるようだ。
そう思うと情けなくて仕方ない。
前回の記事でも少し書いたが、それまではいろいろな作業所(ざっくり言うと障碍者が仕事をするところ)を転々としていた。
盲学校を卒業してからまず最初に入った作業所では、市の広報誌の点訳版の触読校正(点字を読んで文字や升開けに間違いがないかチェックする)仕事をしていた。
学生の頃から点字に携わる仕事がしたいと思っていたので、その作業所での仕事が、自分にとって1番の天職だった。
しかし入ってから3年ぐらいすると、上の人からパワハラを受けるようになり、や無負えず4年で1番の天職を自分から手放すという苦渋の決断をすることになってしまった。
その後は資源ごみの仕分けや草取りなどの清掃業をする作業所や、自動車部品の組み立てをする作業所や、割りばしの袋詰めやうなぎパイの箱折りなどをする作業所を転々としてきた。
しかし結局どの作業所も、全盲の私には続かなかった。
いや、続けさせてもらえなかったと書く方が正しいかもしれない。
作業所に関しては書きたいことがまだたくさんあるので、この話はまた別の機会に書かせてもらいたいと思う。
まあそんな感じでいろいろとあって、心身を病んで仕事に出られなくなってしまったのだ。
そんな中2017年の12月、たまたま縁あって群馬県のみなかみ町に生活環境を変えることになった。
環境を変えたことで、体調が少し落ち着いてきたので、みなかみでまた1からがんばろうと考えていたのだが、もろもろの事情で住所を移すことができず、結局10か月で浜松に戻ってくることになってしまった。
それが3年前、2018年の10月である。
10か月離れただけでは、浜松での様々な心の傷やトラウマが癒えず、翌年から再び心身の体調を崩すようになった。
同じ時、こちらも縁あって念願だった第1詩集を出版させていただけることになった。
ぶっちゃけあまり売れてはいないが、『年金生活者の無職』に加えて、『しがない物書きの端くれ』という肩書がプラスされた。
次作の出版のためにも、これからの生活のためにも、作業所でもいいから働いて安定した収入を得られるようにしたいとは思っている。
しかし外に出て母校や地元の視覚障碍者の関係者や作業所で一緒だった人に会ったらどうしようとか、バスや電車の中で知らない人から心無いことを言われたりされたりしたらどうしようという不安感から、一人で外出できない状態が続いていて、仕事に出ることさえもできない。
事情を知る神戸の友人から、神戸に移住して仕事を探してみたらという話もあったのだけれど、コロナの影響でその話も白紙になってしまった。
その友人の紹介で、とあるメールマガジンの記事を書く仕事や、その仕事の繋がりでオンラインイベントの運営のお手伝いの仕事をたまにさせてもらいながら、少しでも収入に繋がればと、こうして今もネットに文章を書き散らかしているというわけだ。
今日は勤労感謝の日。
私も勤労に感謝できるぐらい働きたい。
物書きの活動は今すぐにはお金にはならないことかもしれないけど、それでもこうして文章を書いて、それをネットに投稿することが、今の私の勤労ということにしよう。
そしてこのような文章を投稿できる場所があることに感謝しよう。