未来の地球と子どもの暮らしを考えながらハーフビルドした 高気密高断熱の家
“都心に一番近い里山”と呼ばれる、神奈川県相模原市の旧藤野町。四方は豊かな森に囲まれ、冬は氷点下の寒さにもみまわれるこの場所で、寒さだけではなく暑さとも無縁の暮らしを送る家族がいます。
設計から施工まで自分たちで行う建築家集団「HandiHouse project」とともに、ハーフビルドで高気密高断熱の家をつくった森川さんご夫妻。子どもたちが生きる地球環境の未来に思いを巡らせ、化石燃料に依存しない暮らしの実現を目指しました。
思い付きやアドリブも交えながら、家づくりに関わる人たちみんなで議論したどり着いた、“森川さんの暮らしのあり方”をご紹介します。
太市:お久しぶりです!お元気でしたか?
瑛里さん:みんな元気ですよ~!さらに報告が…。夏にはもう一人生まれるんですよ。
太市:そうなんですか!3人!賑やかになりますね。
りえ:家をつくっているときは、子どもが3人になるとは思っていませんでした(笑)。
俊輔さん:増築するか。
ーーお二人は今どんな感じでお仕事しているんですか?
瑛里さん:俊輔が家事育児を担当してくれて、私は会社員生活を続けています。ほぼ毎日在宅勤務なので、自宅で仕事ができていてありがたいです。
子どもはすぐに大きくなって私たちの手を離れていくので、今の時間を大切にしたいねって夫婦で話し合って、こうした暮らしの形に落ち着きました。
どうせ建てるなら 地球環境に優しい “未来を想う家”にしたかった
ーー季節は夏に近づいていて暑くなってきましたが、さすが高気密高断熱の家。涼しいですね。実際に住んでみて1年ほどが経ちますが、いかがですか?
瑛里さん:いやぁ、めちゃくちゃ快適ですよ。
ーー夏も冬も体感していますよね。
俊輔さん:僕はとにかく寒いのが苦手で。冬に温かく過ごせるだけで健康状態がいい気がします。
ーー体調が良くなったということですか?
俊輔さん:そうですね。冬は体がだるくなって、よく風邪を引いていたので。
瑛里さん:ずっと風邪引いてたよね。
俊輔さん:以前は築30年ほどの賃貸に住んでいましたが、真冬は室内が氷点下になったりもしていたので。
瑛里さん:そうだったね。子どもも風邪を引きにくくなりました。私は子どもの寒さと暑さのケアをするのがすごくストレスでした。風邪を引かないようにとか、ストーブをつけると乾燥するから加湿器を入れたり。寝ている間に布団をはいでしまうから、寒くないかなって心配をしたり。考えることから解放されて、めちゃめちゃ楽になりました。
太市:うらやましい…。
ーー本当に。お風呂上がりとか、早く服を着なさいって毎日子どもを追いかけていますもん。
ーー今回、ハンディの中田製作所チームと家づくりをしようと思ったのはどういったきっかけからだったのでしょうか?
瑛里さん:私たちは家づくりにおいて、化石燃料に依存しない暮らしをしたいというのと、自宅をハーフビルドでつくってみたい、この2本柱で考えていました。両方に取り組んでいる建築会社を探したら、中田製作所に巡り合って。たぶん、日本中探しても両方実践している会社は中田製作所しかないんじゃないですかね。
太市:ハーフビルドに取り組んでいる会社はあると思いますが、高気密高断熱のような温熱環境を考えた住宅を施主も参加してつくっている会社はあまりないかも。
ハーフビルドって言ってましたけど、3分の2は森川さんがつくっています(笑)
俊輔さん:全ての工程に関われてすごく楽しかったなぁ。
ーー化石燃料に依存しない暮らしにこだわったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
俊輔さん:二人とも東京生まれの東京育ちで、里山暮らしのようなものに憧れもあって関心が高かったです。大学時代に二人で都内のアースデイマーケットという食と農のマルシェに通ったり、有機栽培をしている農家さんの元に遊びに行ったりも。
瑛里さん:東日本大震災が起きる前でしたが、すごく食や農業が盛り上がっている時期でした。田舎の農家さんのところに農業の手伝いに行きましたが、そこで多様な暮らし方をしている人たちとの出会いがたくさんあって。それこそセルフビルドをした家に住んでいる人たちもいましたし、いろんな暮らしを体験する中で、パーマカルチャーを実践している方々にも出会って。こうした自然に逆らわない暮らしが正解だよねって思ったんですよね。
俊輔さん:二人とも都内でしばらくは会社勤めをしましたが、その思いは捨てきれず、藤野地区へ移住することにしました。ちょうどコロナが流行し始めて世の中の働き方が大きく変化したことと、長男が生まれたことも後押しして。自然があるところで子育てをしたいねって。移住先は、もっと田舎の森の中や海外も検討しましたが、経済的なことも考えて、ひとまず通勤圏内の藤野にしました。
瑛里さん:子どもの誕生は大きかったよね。将来子どもたちが生きていくこの世界に負担をかけるような暮らしはしたくないという思いも強くなっていって。どんな家に住むかを二人で悩んで出した答えが、できる限り化石燃料に依存しないで暮らせる家でした。
近くの山の木で建てるのは難しい 家づくりから日本の資源事情を学ぶ
ーー念願が叶っての里山暮らしですね。家づくりにおいて、こだわった部分はありますか?
りえ:色々検討しましたよね。土に還る家など自然素材を使うことも選択肢にあがったのですが、暮らしてみると暑さ寒さがつらいという情報もありました。断熱材も全て自然素材でつくっている家もあるのですが、そうなるとコストが上がってきてしまう。
そこで、便利な部分は今ある技術を利用して、できる範囲で自然のものを利用しようってなって。輸送コストがかからない近隣の山々の木材を使えないかと考えたんです。
ーー藤野の木ですか。
瑛里さん:つくる過程でも、環境負荷がかからないようにしたいという思いもあって。あと、できるだけ顔の見える関係の中で家を建てたいと考えていました。それは家だけではなくて、食べるものや着るものも、本当は顔が見える関係の中で生活を送りたいと思っていて。家もその延長線で考えていたので、建材も近所のおじいちゃんの森の木を使いたかったのですが、残念ながら実現が難しく…。
ーー実現できなかったんですか…。
俊輔さん:知り合いのおじいちゃん、おばあちゃんに、藤野の山の木を使わせてほしいと頼んで許可はもらっていたのですが。林業屋さんと木材を運び出せるかを見極めに行ったときに、トラックが入れない場所で、4メートルの丸太を1本出すのに丸一日かかることが判明して。
りえ:森林組合の方がまとめて製材屋さんに卸している現実があって、運搬ルートまで踏み込まないとなかなか実現できないことがやってみてわかったんです。
俊輔さん:そうなると、時間やコストと見合わなくなってしまい、難しかったんです。
りえ:私もサーキュラーエコノミー(循環経済)のことは以前から重視していて、持続可能な方法で家をつくりたいという思いはずっとあったのですが、その難しさを学びましたね。森はたくさんあるけれど、そこから1本1本運んで製材所まで運ぶルートをつくること自体が、おそらく5年、10年の年月がかかるくらいハードルが高いことで。藤野でハーフビルド団体のようなものを立ち上げて、地域のものを使って家をつくることを事業化したら実現できるかも。全国でもそうした家づくりをしている団体は出てきています。先は長いですが、俊輔さん、一緒にやりますか!
俊輔さん:いいですね!ぜひやりたいな。
りえ:そのときを楽しみにしてます。今回近隣の製材屋さんが、森川さんの土地から2キロ圏内で採れた木を使えるように調整をしてくれて。結果、実現可能な範囲で近くで取れた木材を使えることになりました。
俊輔さん:構造材は全部、隣接する津久井地区のもの。あとは神奈川県内の木材を使いました。窓枠やはしごなど見える部分は、古材や廃材を利用して。太市くんがうまく使えるようにしてくれました。
太市:僕もお二人のおかげで、全ての材料の生産者さんの顔を知ることができて、力が入りましたね。
瑛里さん:皆さんに動いていただいた結果、地元のものを使うことができたのですごく嬉しかったです。今できる範囲のことをできたという思いで満足しています。
ハーフビルドの醍醐味 施主参加型だからできるアドリブの数々
ーー森川さんたちは最初から最後まで家づくりに参加したそうですが、太市さんはいかがでしたか?
太市:もう全部楽しすぎました。工事期間、藤野に家を借りて寝泊まりしながら、現場では森川さんたちとずっと一緒にいたので、その都度アイディアをもらったり議論を重ねたり。あの時間はかけがえのないものになりました。
ーー例えば、森川さんたちからはどんな提案がありましたか?
太市:なんといっても、焼杉ですよね。
俊輔さん:そうだね(笑)
太市:まさか自分たちで杉を焼くところからするとは思ってもみませんでした(笑)
ーー焼杉のプロフェッショナルが近所にいらっしゃったそうですね。
俊輔さん:そうなんですよ。その人の仕事がかっこよくて自分たちでもやりたいなと思ったのが最初でした。藤野に5軒ほど焼杉を利用した家があって、全てその方が教えて実践されているみたいです。
太市:もう強烈に印象に残っています。何枚焼きましたっけ?
俊輔さん:236枚、かな。毎日狂ったように焼いてたね。
瑛里さん:朝から晩まで焼いてたね。俊輔は家に帰ってもずっと焼杉のことを考えてて、今日はここがうまくいかなかったから明日はここを濡らしてやってみようとか。朝起きた瞬間からずっと焼杉のことを考えてて。私なんか、寝ているときに電気毛布がすごく熱くて、焼杉でやけどする夢を見ちゃったときもあった(笑)
太市:もう悪夢じゃないですか。
瑛里さん:地域の人たちも参加して、なんだかお祭りみたいだったよね。
ーー地域の人たちの繋がりや結束力もすごいですね。
俊輔さん:藤野地区は移住者が多いこともあって、コミュニティの結束が強いんですよね。焼杉のワークショップも平日にも関わらずたくさん集まってくれて。平日なのに男性の参加者が多くて、都内で暮らしていたときには考えられなかったことですね。
ーー楽しそう。現場でアイディアを出して決めていく部分も多かったと伺いました。
太市:大まかな図面はありましたが、窓の位置は決まっていなかったし、細かい部分の素材はつくりながら考えました。それも、ずっと森川さんが現場にいてくれたからできたことですね。
太市:図面だけを見ながら、キッチンには何を貼ろうとか、窓はどの位置がいいとか決められないですよね。
俊輔さん:みんなどうやって決めているんだろうって逆に思いました。出来上がってきた家の雰囲気に合わせて、全体の統一感も考えながらタイルなどの素材を選べたのでよかったです。
太市:建築って、建築士さんによっていろんな設計のスタイルがあると思います。僕はどうも図面だけで検討するのが苦手で…。実際に住む方と一緒に手を動かして妄想していくのが好きなので、現場から生まれるリアルな声を大切にしたいと思っています。
ーー例えばどのように考えたんですか?
太市:1日の中で多くの時間を過ごすのはリビングだと思いますから、そこからの眺めや快適さを重点的に考えました。なので、窓の位置はたくさん検討をしたし、吹き抜けをつくって空間を広く見せられるようにしました。
ーー森川さんのようにアイディアもたくさん出してくれて、自らも施工に積極的に参加されるオーナーさんの場合、建築のプロの役割は何だと思いますか?
太市:やりたいことを100%やろうとするとまとまらなくなるので、まとめて形にしていくことが僕たちにできることかなって思っています。できる限り希望を組みたいとは思っていますが、色々な条件と照らし合わせながらつくっていかないと永遠に完成しないので。
この日までに決めましょうって伝えるのも仕事かな(笑) 僕の役割は、オーナーさんのやりたいことをまとめて、背中を押すことなのかもしれないですね。
瑛里さん:たしかに、私たちが悩んでいたときに、そろそろ決めましょうって言ってくれた!
太市:あとは、経験や学んだことから提案できることもあるかと思うので、日々引き出しを増やしていきたいなと思っています。
ーー現場を担当した3人はいずれも若いメンバーでしたが不安などはなかったですか?ムネ(岩永)は大学院を卒業して1年目でしたね。
俊輔さん:若い人たちとの時間は毎日が楽しくて良い思い出になりました。中田製作所が若手メンバーを登用して裁量を持たせて進める懐の深さは、これからの社会でも必要ですね。単純にそれを応援したいと思ってやってました。
太市:正直なところ、大丈夫かなって不安もあったんじゃないですか?
俊輔さん:いや、なかったかな。ずっと一緒にいたから、見ていればしっかりやってくれているってわかるし。わからないことはりえさんや裕一さん(中田製作所代表)に相談していたのも知っているしね。
瑛里さん:個人的にすごく感動したのは、太市くんやえりこちゃん、職人さんたちも含めた現場の人たちの身のこなしを見たとき。やっぱりプロって違うんだなと思って。建方のときもめちゃくちゃかっこよかったし、無駄のない所作というか、自分で何かをつくれる人の仕事を普段間近で見ることがあまりないので感動しました。生まれ変わったら大工になりたいなって心から思ったし、自分でもつくってみたいと思いました。
地球環境や未来のための家づくり たくさんの人たちと一緒に学びたかった
ーー焼杉もそうですが、断熱材をいれる工程をワークショップにして参加者を公募していましたね。オープンな家づくりを実践したのはどうしてだったのでしょうか?
瑛里さん:私たち、この家をつくる前に断熱について手探りで調べたり、実際にやってみたりしたんです。庭に小さな小屋があるのですが、人が寝泊りできるようにしたいと思って、断熱方法を色々と試して。畳を入れて断熱をしてみたり、防水透湿シートを買ってみたり。ネットでやり方を調べてみたものの、ちゃんとした情報がどこにも載っていなくて。なので、断熱や気密に関しては家づくりの一部として参加するのではなく、ちゃんと体系的に学びたいと思っていたんですね。きっと同じ思いの人もいるはずだし、地球に負荷をかけない家が増えていったらいいなという思いもあったので、参加者を募集してみたんです。
ーー初めましての人たちが自分の家づくりに参加することには抵抗はなかったんですか?
俊輔さん:それはなかったね。
瑛里さん:中田製作所の皆さんが、ちゃんと見てくれてサポートしてくれていたので心配はなかったです。
ーー瑛里さんは家づくりの過程をnoteで連載していましたね。
瑛里さん:子どもに将来どんな風に家をつくったのかを伝えたいなと思って書き始めたのが最初だったのですが、意外と読んでくれる人たちがいたので嬉しくて。断熱に興味がある人が多いんだなっていうのもよくわかりました。
家って高価なものですよね。どうせ建てるなら、化石燃料を使わずに済む家のほうが誰にとってもお得だし、何より快適に毎日を過ごすことができます。一方で、そこを重視せずに家を購入する人が多いので、ずっとモヤモヤしていたんです。もったいないなぁって。高気密高断熱住宅の存在を知らなくて選択できないのは残念なことです。
りえ:わかります。私もいつもモヤモヤしながら普及活動をしています。こうして実体験をnoteで発信してくれて、ありがたいです。
太市:実は現場が進んでいる最中も、瑛里さんのnoteを読んで僕自身断熱の勉強をしていました。すごくわかりやすかったので。
瑛里さん:そうだったんだね。それは嬉しい。
ーー特に心に残っていることはありますか?
俊輔さん:うーーん、なんだろう。焚火かな。
ーー焚火ですか。
俊輔さん:火を囲んで、お茶をいれて、家づくりの関係者みんなで休憩している時間。あれは何とも贅沢なひとときで心に残ってる。
瑛里さん:確かにそうだね。子どもたちがウロチョロしても全然平気な現場だったね。素人がたくさんいて職人さんたちは大変だったかもしれないけど。
太市:いやいや。最初の建方のときから、外で炊き出しをしたりお祭りでしたね。
ーー家づくりという一大イベントをちゃんと自分たちのものにして、しかもたくさんの人たちにその貴重な時間をシェアする。森川さんが経験された楽しさをもっとハンディでも広めたいです。家は購入するものではなく住む人がつくるものということを。
瑛里さん:本当に。この楽しさをもっと知ってほしいですよね。しかも住む人以外も参加してもらったらもっと楽しさが増えました。家づくりが、囲いの中でプロの職人さんや建築士の方々だけで終わらせちゃうのはもったいないって、振り返ってみてもよく考えます。プロの方たちの負担は増えたかもしれませんが、家づくりをオープンなものにしたいっていう私たちの思いを受け入れてくれて本当にありがたかったです。
家づくりの楽しさを再認識 独立後もその思いが自分を支えている
ーー太市さんは、森川さんのプロジェクトを最後に独立しましたね。
太市:そうですね。大学卒業後、7年間中田製作所でお世話になり、昨年独立しました。最後にこのプロジェクトを経験できて本当によかった。屋号の由来にもなったんですよ。
俊輔さん:えーー!そうなんだ。
ーーTough and Rough (タフ・アンド・ラフ)ですね。
太市:ラフな発想とラフなつくり方で楽しくつくることも大事ですが、プロとしてしっかりつくるところはつくる。さらに、スケジュール通りにつくることやそのための体力も必要だなって思って、タフという言葉も入れました。
新築戸建てを中心メンバーとして担当したのは初めてだったので、ものすごく勉強になりました。建方のときとか、すごいスピードで組みあがっていく構造を見ながら、ちゃんと図面通りに仕上がっているのかを確認するのは自分だったので必死でしたし。しかも高気密高断熱の住宅なので、より神経質に確認作業を進めていく緊張感もありました。
太市:7年建築の仕事をしてきましたが、初めてのことも多くて、毎日終わった後に夜な夜な翌日の予習をしたりもして。
俊輔さん:そうだったんだね。それは知らなかった(笑)
太市:タフな部分もラフな部分も全て経験できたプロジェクトでした。
ーー独立した後もこの経験が活かされていると感じることはありますか?
太市:活かされまくりですよ。やっぱり僕は、現場でアドリブも交えながら、みんなでああしようこうしようと意見を交わしながらつくることが好きなんだなって再認識した上でスタートできたことが何よりもよかったです。お二人がある程度僕たちに任せてくれて、自由にやらせてくれたこともあって、つくることの楽しさを噛みしめることもできました。同じ釜の飯を食べながら、オーナーさんと毎日ワクワクしながら家をつくれる。こんな贅沢な時間はないなと思って、しんどいときもこのために僕はやっていると思い出すようにしています。
今のベストを尽くした 大人になった子どもたちに伝えたい家づくり
ーー森川さんは、この家づくりを通して得たものはありましたか?
瑛里さん:ありましたね。これまで模索してきたベストな暮らしとは何なのか、環境問題に対して自分たちができることは何なのか、今回の家づくりを通して答えが見つかればいいなと思っていました。
自分の子ども時代と比べて、本当に夏は暑くなったし、災害も多くなったし、藤野地区も数年前に台風で土砂崩れがあったりして、住める場所が減っているとひしひしと感じています。土地を探すときもハザードマップを見ながら、安心して住める場所を探しました。
瑛里さん:子どもが生まれて家がほしいとなったとき、じゃあどんな家を大金をはたいてつくりたいのかを問いつづけて。結果、今の自分たちの経済力で、エネルギー効率が良く快適に過ごせる家が今回のプロジェクトでした。子どもたちに、お父さんとお母さんは君たちの将来を思って、できる範囲で環境に負荷をかけない暮らしを目指したことを伝えたかった。今の自分たちにできるベストを尽くした感じですね。
ーー自分たちが子どもの未来のためにできることは何なのか。答えは見つかりましたか?
瑛里さん:まだまだ勉強しなきゃいけないなって思っています。これが正しいかどうかではなくて、考える過程がすごく大事だと思っていて。そのために勉強もするし、子どもたちに何を残したいかを夫婦で議論をし続けることが大切ですね。いったん家づくり自体は終わったけれど、暮らしは続いていて、食べるものや着るものはどこで買うのか、この先はどこで暮らすのが良いのか。今回はその第一歩目を踏み出したと思っています。
俊輔さん:用意されたものを、ただ買ったり選んだりするのではなく、自分たちで探したり選択をしていくところから始めていく家づくりを経験できて、その意識が今後の暮らしにも役立てられそうだよね。
瑛里さん:ほんとうに。まだまだ長い人生が子どもたちには待ってるし、彼らが家を建てるときには恐らくもっと住みづらい地球になってると思っていて。そんな中で、私たちがあなたたちの世代に迷惑がかからないような家を考えてこれにしたんだよっていうのは言いたいなって思っています。
ーー暮らしへの追求を続けることは大事ですね。勉強になります。次はどんな家をつくりたいですか?何か構想はあるのでしょうか?
瑛里さん:家を建てたときに、ゴミがたくさん現場で出ることにすごく驚きました。
太市:新築はどうしても廃棄物が多く出ますね。
瑛里さん:仕方がないことなんですが、今空き家がたくさんある中で、ゴミのことも考えると、古い住宅をリノベーションして高気密高断熱の家にできたらいいなと思っていて。
太市:リノベーションだとどこまで気密を保てるかやってみないとわかりませんが、リノベーションはアドリブがいくらでもできるので、また違った楽しさがあると思います。
俊輔さん:いいね。今度は海の近くがいいな。
ーー森川家の家づくりは終わりませんね。次なる挑戦を楽しみにしています!