1万円札、燃えた【短編】
「なあ、1万円札を燃やしてみたら、どんな気分になるだろうな」
大学のカビ臭い部室で3人、ダラダラとポーカーをしているときに、タカシが唐突に言い出した。
「……そりゃ、もったいないと思うんじゃない?」と俺が答えると、サブカル野郎のマコトがいつもの早口でマシンガントークを始めそうになった。
「それって『ダークナイト』のジョーカーみたいだな。天井まで積み上がった札束にガソリンかけて、火をつけたジッポーを落とすんだよな。かっけー。ヒース・レジャーのジョーカー、最高だよな。あ、あのシーンさ、俺、ノーランがKLFの伝説にインスパイヤされて撮ったんじゃないかなって、昔から思っててさ。知ってる? KLFがさ、イギリスのどっかの森で、夜中に印税で入った何億円だかを燃やしたって話……」
「まず、KLFを知らんよ」
ピシャリとマコトが長話をするのを制してから、俺はつけ加えた。「札を燃やすっていったら、ジョーカーの前に成金だろうが。教科書に載ってたやつ。ほら、明治だか大正だかの成金が、靴を探す女の手元を照らすのにカネを燃やしてたヤツ」
「あー、あったな。『どうだ明るくなったろう』ってな」
「よく覚えてるな、お前」と少し呆れながら褒めると、マコトはニヤリと笑いながら右手でスマホの画面を見せてきた。筆で描かれた白髪ででっぷりとしたじいさんがニッコリと笑いながら百円札を燃やしている絵が画面に表示されている。左手でポーカーの手札を持ちながら、右手で検索してたらしい。器用なヤツ、というより忙しいヤツだ。
「美術の授業で聞いたんだよね、ダダカンって人の話を」。俺とマコトの話を聞いていたタカシが、マイペースに話しだした。
「ダダカン? 誰? それ? ダンカン?」
「……糸井貫二。おー、まだ生きてるな、100歳か。すごいな」
「あのさ、マコトさ、すぐにスマホで調べるのやめてくんない? 今はどう考えてもタカシのターンだろ。俺は会話の最中にすぐにスマホで調べるヤツが嫌いだってよく言ってるだろ」
「なんでよ。別にいいじゃん。それに正確な情報は大事だぞ」
「会話が邪魔されんだよ。別に駄話してるときに、いちいち正確な情報なんかいらないんだよ」
「いや、大事だよ」
「う・る・せ・え、黙れ。……すまなかったな、タカシ。続けてくれ」
「……ま、俺はかまわんけどな」。表情を変えずにタカシは続けた。「ダダカンって人は1万円札を半分焼いて、郵便で人に送ってたんだって」
「なんでよ?」
「アートなんでしょ。それが」。タカシはこともなげに言った。
「わけわからんな。でも、あれだよな、焼けたお札も銀行に持ってけば半分だったら半分、この場合は五千円か、換金してくれるんだよな。子供の頃に学研の『ひみつシリーズ』で読んだぜ」とマコトがまたもや余計な知識を入れてくる。
「ダダカンって人がなんでお金を焼いたかは知らないけどさ、俺、思ったわけよ。どんな気分なんだろう、1万円札を焼くって」
「その人はすげー金持ちなの?」
「さあ、わからないね」
タカシが答えるや否や、マコトがスマホに手を伸ばすので、俺はその右腕を手刀ではたいて、無言でタカシの発言をうながした。
「ただ、金持ちだったら、なんとも思わないのかな。それこそ、さっき話に出てた昔の成金みたいに。マコトさ、いくらだったら焼ける?」
「なんで焼かなきゃいけないのよ。そもそも。損しかしないじゃん。焼いたらいくらかくれるのかよ」
「やらない」
「じゃ、千円だってイヤだね」
「じゃあ、このポーカーで負けた分を俺によこす代わりに焼けって言ったら?」
「なんで、俺が負けることが確定してるのよ。でも、だったらいいかな。俺は損しないし。いや、負けた分は損してるけど、無くなるのはタカシの勝ち分だし」
「いや、なんか屈辱的じゃない、それ? すげー馬鹿にされてる気がするわ。お前のカネなんかいらねーよって言われてる感じ」。俺はその行為が何か人間の大事な部分に触る気がした。
「そっか、言われてみりゃそうだな。焼くなら自分で焼けよなって感じ」。マコトも実際に焼かされたわけでもないのに、不機嫌な顔になった。その顔を観て、タカシも思い直したような表情になった。
「そうか、そうだな、すまん、すまん。確かにそれってやな感じだな。うん、賭けで儲けたり損したカネだとちょっと違うな。あぶく銭だし。あと、金持ちの話もやめよう。ミカミさ、お前の働いてる弁当屋、時給いくら?」
タカシが俺に聞いてきた。「900円」とぶっきらぼうに答えると、タカシは「だいだい11時間分か。俺もそんなもんだな」とつぶやいてから、俺とマコトの顔をじっくりと見てきた。
「いや、あのな」。タカシが手にしていた手札を机に放り投げて、言った。「本当は、今日、勝ったらそのカネを焼いてみようかと思って言ったのよ。ないしは、俺が負けたら、そのカネ焼いていいかなって」
「それはダメだ。お前が負けたら俺らのどっちかが損じゃん」
「でも、多分、それは違うんだよ、ダダカンがやったことと。賭けたカネじゃなくて、11時間働いたカネを焼かないと意味がない」。タカシが妙に真面目な顔をして言い始めた。「資本主義への反抗なんだって、ダダカンの行為は。先生はそう言ってた。だから、大事なカネを焼かないと意味がないんだと思う」
タカシの言うことになんだか妙に納得してしまった。だが、マコトが妙に真剣な顔で言う。
「……いや、それって、違うのかな。11時間かけて働いたカネを一瞬で博打でするのと、焼くのって根本的に何が違うんだ? どっちも何か……博打なら『時間やスリル』、アートなら『1万円を焼くという意味や体験を買ってる行為』にはならないか? どっちも無意味じゃない気はしてきたぞ」
タカシはしばらく黙って考えていた。
「いや、博打だと、誰かが潤う。でも、ただ焼くだけだと、誰も潤わない。っていうか、ただ損をするだけだ。でも、マコトが言った『意味や体験を買う行為』というのはあってる気もする」
それから、ポーカーそっちのけで、貨幣とは何か、交換とは何かという議論が続き、明け方、3人ともなけなしの1万円を部室の灰皿の上で焼いた。妙な高揚感を味わって、その日は別れた。
数年後、同窓会で三人は再開した。あの部室での三万円炎上事件はすっかりと笑い話になっていた。学生時代も何度もこすったネタ話になっていた。ひとしきりいつものように笑ってから、タカシは「でもな」と言い出した。
「最近、思うんだよな。結局、俺たちはあのとき、友情をあの1万円で買ったんだよな」
「いや、俺は同調圧力に負けた」
マコトは急に冷めた顔をしていた。