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銀河鉄道の夜に、それぞれの選択をした

鉄道に乗って宇宙空間を楽しく見物する


そういうイメージだった銀河鉄道の夜はまったくもって違った。

美しい銀河の流れの中に死の匂いを感じたのはいつの時点だったか。
それはカムパネルラが母が許してくれるかと言ったときだった。それまで、ただただ美しい世界を想像していた私は急に寒くなった。
幼い子供が母親に怒られる心配ではなく、許してもらえるかと心配になることなどそうない。
「まさかな…」と思いながらも読み進めていくと、銀河を渡っていく美しさの中に確かに死の匂いがしていた。
天上へ、と走った銀河鉄道は三途の川の渡し船だった。


ならば、どうしてジョバンニは銀河鉄道に乗ることができたのか。
私はジョバンニからは死の匂いがしないと思った。
銀河鉄道に乗っていた人たちはそれぞれの天上へ向かっていたようだったし、かおる子達は死に至った理由まで語られていたのにジョバンニだけは地図ももらわず何も知らず、切符さえも曖昧だった。
確かにジョバンニの環境は恵まれたものではない。
幼くして母のために尽くし、仕事に疲れ、遊びや勉強にも気が回らない。友人達とも距離ができてしまって孤立している。
だが、読んでも読んでも私が文から嗅ぎ取れたのは子供らしいクルクル変わる表情と自分がまだ知らない感情に戸惑う瑞々しさだった。

だとすれば、カムパネルラがジョバンニを銀河鉄道に乗せたのだろう。
カムパネルラは自分が銀河鉄道に乗っている理由を知っていた。
知っていたからこそジョバンニの切符が気になっていたし、彼からの問に曖昧にしか答えることができなかった。
そして、ジョバンニが死に向かわないことも分かっていたと思う。

カムパネルラは死の間際にジョバンニのことを思い出していたのだろう。
話すことも遊ぶことも出来ず距離ができてしまった幼馴染を。
昔のようにジョバンニと二人で話したい。
大切に思っているのにみんなから冷やかされ遠ざけられても手を差し伸べることができなくて申し訳なかった。
そんなカムパネルラの思いが天気輪の柱の下に居たジョバンニを銀河鉄道に乗せたのだ。

銀河を渡るカムパネルラの気持ちはきっと複雑だったに違いない。
大好きな友と過ごせる喜びと、死んで天上へ向かうことへの恐ろしさと母のもとへ行けるという期待。
友とはすぐに別れねばならないだろうということも分かっていたのだろう。
彼の銀河鉄道の旅を思えば私は切なくなった。

死に対して拒絶を示し、ジョバンニのようにに生きることを選ぶ。
そんな選択肢もあったのかもしれない。
しかし、彼はザネリを救った自分のおこないを『さいわい』として母のもとに向かう決心をしていた。
彼は旅の中でジョバンニや乗客たちを通して死に対する恐れを手放し、希望を受け入れた。
その結果、石炭袋の中で彼は母を見つけ、天上へと迎え入れられた。

「ほんとうのさいわいは一体なんだろう」

と問われ「僕、わからないや」と答えていたのは本当は違ったのだろう。
目に涙を湛えた彼には答えが見えていた。
しかし、それは彼なりの答えでありジョバンニの答えではないから、そのまま伝えては意味がなくなってしまうから、彼はあえて答えなかったのだ。
死を選ぶ彼の『さいわい』と、ジョバンニの『さいわい』は違うと知っていたから。
そしてジョバンニは石炭袋の中で恐怖と生への執着を感じた。
ジョバンニの涙と叫び声の中には喪失感や悲しみ、彼の生に対する気持ちが溢れていたように感じた。
だからこそ自分の居場所である三次元に帰ってこれたのだと私は思う。
大人びていても幼かったカムパネルラが死を受け入れるには、ジョバンニが必要で、ジョバンニもまた生きる目的や意味『ほんとうのさいわい』の欠片を得るためにカムパネルラを必要としたのだろう。

カムパネルラは死を、ジョバンニは生を選んだ。


銀河鉄道を降りたジョバンニはきっと疲れた子供ではなくなっただろう。
元気よく手を挙げて発表もするし、ザネリの冷やかしにも動じない。
母の世話にも更に精を出しただろう。

自分のことで引け目を感じることはない。
必要なものや場所は求めればそこにあるのだと彼は知ったから。

傍にいる人や自分を大切にすること。

身の回りに起こることの美しさを知ること。

行こうと思えばいつでもどこまででも行けること。

それが『ほんとうのさいわい』に近づく道だとカムパネルラと
銀河鉄道はジョバンニに教えてくれたのかもしれない。

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