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オフィーリアの面影

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美術・音楽・映画その他、感想評論ごった煮
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#美術

闇系彼氏に首ったけ-ちょっとした悲劇と美術試論-

恋は突然に20XX年1月8日、AM5:25。 画面が完全にブラックアウトしたノートパソコンの前で、私の頭は真っ白になっていた。 神様。 確かに私は、この『彼氏』様と、2年間別れたいと言い続けてきました。 歴史に名を残すメンヘラで、サイコパスで、クッッッッッソきまじめで、超病み系すぎる『彼氏』様と、別れたいと願ってきましたよ、ええ。ええ。そりゃあもうツイッターのタイムラインを毎日「もうむり」「つらい」「逃げたい」といったワードの連続で荒らしまわるくらい、切望してきましたとも

私を真夜中から連れ出すヨタカ

BOOTLEGのカバージャケットがエドワード・ホッパーみたいだと人に言われて、見てみたら確かにホッパーのようだと思い、ちょうどそのとき書いていたこの曲に米津は「Nighthawks」と名づけたらしい。シカゴ美術館に所蔵されているNighthawks(夜更かしする人々)はホッパーの最も有名な作品である。どこに建っているかも明らかではない夜のレストランPHILLIESで、一組の男女、一人の男、一人の店員が揃っている。 私は最初、米津がホッパーの作品からインスパイアされてNigh

不埒な女の正体

掌編「La Maja」 北方の山脈の向こう、隣国で勃発した革命の気配が流れ込み始めている危機的な時世、夫である国王陛下が改革派の国務大臣を左遷した。次いで、相対する派閥、生粋の大貴族である公爵をその任に就けたけれども、公爵は何ら有効な手立てを打てず、しばらくして失脚した。代わりに国務大臣に任じられたのは、若干二十五歳の青年である。平民出身、十七の時分に近衛隊に入隊している。陛下に進言し、推挙したのはわたくしである。青年はわたくしの気に入りだった。五年前の話だ。 ますます危

私とモネと、溺れる睡蓮

美術の勉強をしていた、と話すと、9割9分くらいの確率で「どんな絵を描くんですか」と訊かれる。私は、絵を描くのではないんですよ、美術史といって歴史の中で作品を解釈する研究をしていたんです、描くほうはさっぱりわかりません、と説明する。 そこからの会話はだいたい二分化される。作品評価に関心を持つ人と、私個人の好みやおすすめを尋ねる人である。前者は「どういう作品に高値がつくのか」というお金の話をしてくるタイプで、これに関してはむしろ私が教えてほしい。アート市場の本はどうも眠くなって

「障害者アート」、いつまでそう呼ぶ?

「障害者アートという言い方ってどうにかならないのかな」  職場で催される福祉イベントを眺めながら、同僚とそういう話になる。私は美術史を専門に学んできた人間としてそう思うし、同僚は一障害児の親として腑に落ちないものを抱えている。 感性と表現について、「健常」と「障害」の区分けは本当に必要なのか。 障がい福祉の現場において「障害者アート」と敢えて名乗ることで、障害への理解を促そうとしていることは理解している。けれども、そのように「障害者アート」という枠組みを自ら設けつづけるこ