人も情報もアマチュアが溢れる時代にホンモノを見つける難しさ

私は最近作詞作曲を始めた。動機はやってみたかったから。とりあえずネットで下調べをし、ソフトをインストールして必要なものは購入して、環境を整えた。探り探りでクオリティも低いものだが、作曲をすることは可能になった。作詞は作曲を始めることよりも容易く始められた。もし私が世の中に発信したいと思えば、その作品をYouTubeやSNSで発信することも簡単だろう。

 人も情報もアマチュアが溢れる時代にホンモノを見つける難しさ

 

▶お手軽で気軽に

最近は何でも始めることが容易いと感じる。ほんの少しの興味でもおそらく一昔前より手間もお金もかけず気軽に始められるものが増えているのではないだろうか。
そういった意味で私が望めば何者にもなれるのだと思う。必要なのは初期投資する金銭的時間的余裕だけということは昔から変わらないのかもしれないが。

 

私が何かを始める側に立っているとすると、とても素敵な時代の様に思える。正直なところ自分の飽き性と気の多さが仇になってなかなか何かを続けられたことはないのだが、私は興味のあることに片っ端から手を伸ばしてきた。イラストやデザインや写真や動画やプログラミングやソーイング、レジンや…書いていても自分の節操のなさに呆れるほどだ。
しかし本当にほんの少しの興味でも、やる気になってしまえば始め方は調べられるし初心者用の道具も簡単に手に入ってしまったりする。勿論ものによっては始めることが困難なジャンルもあるかとは思うが、今や簡単に始められるものはこんなにも幅広いのである。

 

例えば、私が軽い気持ちで始めて作った作品をインターネット上で発信することはそんなに特別なことではないだろう。この文だって、軽い気持ちで書いてネットの海に流しているかもしれない。そんなことは今や多くの人がやっていることでわざわざ捕まえて何か言うことでもない。そしてそれが写真でも音楽でもハンドメイド作品であっても勿論文章であっても、需要があればそれに価値がつく。作った人がアマチュアであろうが関係ない。

むしろ今はアマチュアであっても作者と消費者を直接繋ぐルートはいくらでもあるし、これからもどんどん充実していくのではないかと思う。
それは少し経済の形を買えるかもしれないし、それ自体が良いことか悪いことかは今は判断がつかない。ただ選択肢が増えることは、多くの消費者や作品を作るクリエイターにとっては良いことと言えるのかもしれない。

 

情報に溢れたこの時代。無数の情報を私は選択できる。

しかし正しい情報を見抜く目を私は持てているだろうか。

 

▶プロとアマ

プロとアマチュアの違いってなに?と聞かれたら、私はそれを生業にしているかどうかではないかと答える。また生業にしているか否かで変わることは責任の有無ではないだろうか。

 

私は何か知りたいことがあれば一番始めにインターネットで調べる。ネットには様々な情報が入り乱れる。多くの人はどうやってその情報の正確性を判断するのだろうか。匿名の情報を信じられるだろうか。そのサイトは企業サイトであるか確認するのだろうか。

今インターネット上にはプロアマ問わず様々な情報があるが、私はおそらくその道のプロの情報は信じられるが、アマチュアの情報は一度疑ってしまうだろうと思う。それはやはり言葉に対する責任の有無である。勿論たとえその道のプロでもプライベートに発信している情報もあるだろうが、しかしやはりプロという信頼は大きいのではないかと思うのだ。

悪意のある情報なんてほんの一部かもしれない。多くの情報は素直に信じていいのかもしれない。しかし簡単に情報が得られる時代に、正確な情報を得ることが難しいなんてなんと皮肉なことだろう。

この文章はプロになれ、アマチュアは信用ならん、と言っているのではない。自分の作品に責任を持てとまでも言えないが、私はアマチュアが溢れる時代だからこそ、全てのクリエイター・発信者がある程度の倫理観を身につけていかなくてはならないように思う。それは私も例外なく全ての人が、おそらく今後大切にすべきことのひとつではないだろうか。

 
 

▶この時代のホンモノ

今の世の中で本物とは何を指すのだろうか。正しいもの。正確な情報。私が表したかったのはそれだけではなく、自分が必要としている情報のことも指したいのだ。

自分が必要としている正確な情報である。

先程から何度も言うように今は本当に情報過多社会である。ネットをみれば広告が出て、沢山のリンクが張られていて、要らない情報も簡単に手に入ってしまう。使い方次第でいろんな情報を取り込めるし、興味関心が広ければ広いほど次々といろいろなものを得ることができる。

しかし私はたまに見なくてもいいものも見てしまう。何も知らない私に偏ったイメージを与えてしまいそうな文。悪意のあるものたち。真実がわからないもの。人を煽るもの。

常に自分の欲しいものを、正しいものを見分けられる目を私は求めている。

勿論自分の好きなものだけを目にするのも偏りがあるとは思う。しかし私は私自身の目で物事を判断したい。そこに他人が語る嘘と真実を混ぜて沢山の負の感情の贅肉を載せた作品は、とても醜く感じられる。

この文だって私の正義や考えを押し付けるような文かもしれない。感情を押し付ける文かもしれない。毎回noteを書くたびに私は少し怖いのだ。この気持ちを伝えたいという感情と、とても狭い世界にしまっておきたいという感情がせめぎあう。

もしかしたら私の文はある人にとっては見なくてもいい文章だったかもしれない。ならば、せめて私は私の文を読んでくれた人にありがとうと伝えたい。

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