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どこから見るか?で変わる世界線「海のはじまり」最終話感想!
冒頭「夏、海、水季」のこうなったかもしれない?夢?からはじまる。見る人によっては「あちゃ~もう夏そっちの人じゃーん」とおぞましく思えるシーンだが、その後の「津野、弥生」の2ショット、水季、朱音の「海いてよかった」夏、弥生「楽しかった」の話など繋げてみると、「人生は選択の連続」でもその選択にいい悪いはなく、そのどれもが正しくて、そう思えるような人生をみんな送ろうね!的なメッセージも感じる最終話でした。
よかったところ①
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ただでさえ、身長差のある2人を、玄関の段差を使ってさらに差をつけ見せる。2人の目線は「左から右」
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対して海のシーンは「右から左」アングル使いによって、これから起こる事の「不安」「別れ」など見ている人に「負の感情」を表す構図(↑上)。「肯定」「未来」など「いいことがありそうな感情」を抱かせる(↑下)工夫がされている。1話「海と水季」が歩くシーンも「右→左」になってたんじゃないかな?じゃあ元夏パパ(田中哲司さん)とのシーンは?と見返してみるのも楽しいかもしれないです。
よかったところ②
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「海ちゃんが、寂しくなくなるのをずっと待ってる」に繋がるセリフ。まず「寂しい」という言葉を夏が発する事で、海の寂しい」という感情を共有、とはいっても、海の感情を完全にわかる(共有できる)事はなくて、でも2人を繋ぐ言葉として「寂しい」が使われている。こう思うと「寂しい」という負の感情をあらわす「言葉」というものが人と人を繋ぐ「道具」そもそもなぜ人は「言葉」を使うのか?「暴力」とも対義語ともされる、「言葉」の「重要性」及び「はかなさ」を感じさせられる展開になっている
③水季の手紙の使い方
ベタであれば「水季の手紙」によって夏が何かを変化をする。のが定石だが、あくまで「夏の問題」を「夏自身が解決」した後、ほっこりシーンで「手紙」をそれも海ちゃんと読むのはよかった。夏「分かった?(意味わかる?)」海「半分くらい」の落としどころも、すご腕キャバ嬢みたいで憎たらしい脚本、やくざのやり口です。凄い!
③想像と決めつけ
1話「朱音」の「想像してください」からはじまった物語。これはいかようにも取れる言葉、ある意味「想像しろ、想像しろ」は暴力的な言葉にもなりかねない危ない言葉ではあるし、「決めつけないで」もその類の言葉である。もちろん決めつけはよくない、想像しないのもよくない。がしかし「慮る(おもんばかる)」だけでも事は進まない。ある種の選択「私はあの人と幸せになる、なれる!」も「想像」と「決めつけ→決断」の産物で、などと考えていくと「俺は何も話さない、想像してくれ」と感想を言うのも「投げ出したくなる」が、それはそれで「あーつまんなかったから、感想言わなかったんだ~」と思われても困る。何もしないという「行動」も「それはそれで意志」なのだ。
「脚本家、生方美久さんの特性」は何を描くかより、何を描かないかにあると思う。正直「人間ドラマ」として見るとなずそうなる?お前どういう奴なんだよ!感情A~Bに変わる過程、そこを描くのがドラマだろ!と憤る(いきどおる)こともあったが、最後まで見てしまう。不思議なドラマでした。「憤り(いきどおり)派」の方もその「憤り(いきどおり)」を大切にすることで、自分の立ち位置を知り、何かが変わっていくのかもしれませんね!最期に名言「変わらないことも行動、あなたはちゃんと変わってるよ」(←ホラー!)
生方さん、目黒さん他、制作者のみなさん、お疲れさまでした~