「大切」ってなに?〜大切にはあって大事にはないもの〜
大切なものは何ですか?
うちの会社には就業時間外に自由に参加できる「学びの場」があります。
学びの場といっても、今のところ別に勉強するわけではなくて、みんなで話しましょう的な会。
元々、ブランディングの一環として、年次や立場に関係なく話せる場を社内に作りたいと何度か提案していたので「これはちょうどいい」と思って参加しています。
そんな学びの場。
先日はじめて1つのテーマに絞って実施されました。
テーマは「自分の“大切”を探しにいこう」
自己分析をメインに、大切なものを見つける時間でした。
●ふとした疑問「大切ってなに?」
参加している中で、ふと疑問に思った。
自分の大切にしているものや価値観。これがハッキリしている人とそうでない人。これは何が違うんだろう?
生きてきた環境?
モチベーション?
性格?
何がどうなって、違いが生まれるのか。
そっちが気になって仕方なかった。
いや、そもそも「大切」って何なのか。
ホストが定義する「大切」と自分の「大切」の定義は一致しているのか。ほかの社員とは一致しているのか。
「大切」と「大事」って同じ?違うもの?違うとしたら何が違うの?
考えれば考えるほど、ドツボにハマっていきました。これ、悪いくせです。
●「大切」には含まれていて「大事」には含まれないもの
モヤモヤを解消しようと、まずは「大切」と「大事」について調べてみました。
<たい-せつ / 大切>
①大いに尊重すること。大いに重要なこと。
②大いに愛すること。また、丁寧に扱うさま。
③愛情。
④非常に切迫すること。危篤に陥ること。
(広辞苑より引用)
<だい-じ / 大事>
①重大な事件。普通でない事。非常の事。
②(一大事の略)出家して悟りを開くこと。
③容易でない事。危うい事。
④かけがえのないものとして大切に扱うべきさま。
㋑重要。肝要。
(広辞苑より引用)
ここで「大切」にはあって、「大事」にはないもの。それが「愛」だということに気づきました。
印象的には大事は「役割」的に重要なもの。「必要」に近いイメージ。大切はもっと「感情」の込められたもの。「愛おしい」とかに近いイメージ。「存在」そのものが自分にとって重要なものなのかな。
ということは、今回探そうとしていたのは「愛という感情がこもった自分にとって重要なもの」だったということ。
1つモヤモヤ解消。
●自分の大切について考えてみる
次に、自分の大切にしているものや価値観がハッキリしている人とそうでない人の違いについて。
まず、自分の「大切」は一体何から生まれてきたのか。何によって形成されているのかを考えてみることにしました。
大切なもの、こと、ひと。
書き出してみると、意外と少ない。
いや、少ないというより、「少なくなった」が正解。
書き出したものを見ていると「大切」というカテゴリに分類していたいくつかのものが、本当は「大事」にカテゴライズされるものだということに気づいた。
「大切」カテゴリに残ったもの、こと、ひと。
確かに、どれも「愛情」が関わっている。
そして、自分の曲げられない「信念」が関わっている。
「大切」に関しては頑固になる。
絶対に譲れないし、譲ろうなんてこれっぽっちもよぎらない。
もしかすると、こういった「もの、こと、ひと」に既に出会っているか、まだ出会っていないか。出会っていたとしても、その存在に気づいているか、いないか。その存在の大きさに気づく出来事が起こっているか、いないか。
ここが、ハッキリしている人とそうでない人の違いなのかもしれないですね。
●大切って見つけるものなのか
ここでまた1つ疑問が生まれました。
「大切」って見つけようと思って見つかるものなのか。
この答えが「YES」なのか「NO」なのか、明確にはわかりません。ただ個人的には「NO」寄りです。
でも、今回の学びの場は、今まで「大切」というものについて深く考えてこなかった人や、自分の「大切」の定義が明確になっていない人に対して、考えるキッカケになったのは間違いないだろうなと感じています。
しっかり考えたことでボンヤリしていた「大切なもの、こと、ひと」の輪郭がハッキリした人がいるかもしれない。
考えるきっかけや、気づきを与える場があるって、素敵なことですね。
3月は社内でブランディング研修と救命講習を開催する予定です。今回の学びの場のように、考えるきっかけ、気づきを与えられるよう、しっかりと講師を努めたいと思います。
今回もご覧いただきありがとうございました。
みなさんの「スキ」がいつも励みになっています。
また近々、ブランディング研修や救命講習についても書こうと思っていますので、またぜひお越しください。