【読書感想文】流浪の月
流浪の月 凪良ゆうさん
2020年本屋大賞受賞。話題の一冊。
今回初めて、その年の本屋大賞を2冊続けて読んでみたけど、いいなぁこれ。その年のトレンドというか、今の社会に提示されている問題のようなものが表れている気がする。毎年続けて、その変化を見ていきたいな。
翻訳小説部門の『アーモンド』に続き、大賞の『流浪の月』。なんとなーく共通して感じたのが、かっこいい言葉で言うならば「主観性と客観性」。友達にだらだら話す感じで言うならば「まぁその人のことなんて、その人しかわからんよね。他人だもの。」という事かな。
どちらもドラマを見るみたいにサラサラ~っと読めて、だけど心の中にはしっかり留まっている。決して嫌な感じではなく、ずしんと重いものが心に残る。そしてもう一度読みたくなる。
あらすじは、こんな感じ。
”浮世離れ”な両親のもとで育った9歳の少女更紗と、”育児書に従順”な両親のもとで育った19歳の男子大学生、文。文は更紗を「誘拐」し、生活を共にするが、その後すぐに世間に見つかってしまい二人は離れ離れになる。それから15年後、「女児誘拐で逮捕された犯人」と「誘拐された女の子」というレッテルを貼られ生きてきた二人が、ある日偶然再会する。一緒になってはいけないはずの更紗と文。それでも一緒になろうとする二人には、2人だけの真実と、そして文だけの真実があった。
白い目というものは、被害者にも向けられるのだと知ったときは愕然とした。いたわりや気配りという善意の形で、『傷物にされたかわいそうな女の子』というスタンプを、わたしの頭から爪先までぺたぺたと押してくる。みんな、自分を優しいと思っている。
最近はコロナウイルスの状況もあって、第一情報を得ることの重要性について聞くことが増えた。
情報そのものや情報発信源の信ぴょう性を確かめることが大事。そうでないとこのネット社会では、誰もがどんな情報もあたかも事実のよう拡散することができてしまう、と。
だけどこの本を読んで思った、そもそも第一情報ってなんだ?そんなもの、その当事者しか持っていないものなんじゃないのかな?
例えばこの話の中で言うと、更紗は「女児誘拐事件の被害者」で文は「小児愛者の誘拐犯」。大学生の文が、9歳の女の子の更紗を彼の家に招いたという事実だけ見れば、この「被害者」「誘拐犯(=加害者)」構造はきっと正しい。
だけど、真実は違う。ネタバレになるから書かないけど、だいぶ違う。
全く違うのに。どうしてその「被害者」「加害者」構造が正しいものとして、世間に広まってしまうんだろう。
それは、まずきっとわかりやすいから。
そして、自分にとって本当に苦しい事悲しい事って、簡単に人に打ち明けることができないから。だと思った。
事件となるような事だけじゃなくても、日常生活の中でもそういうことってある。「ある人に言われた、トラウマになるようなあの一言」「あぁあの時、もっと何かできたんじゃないかなという、今はもう手遅れの後悔」
もしかしたら他人にとっては、「なーんだそんなこと!」という話かもしれないけど、自分にとっては本当に重い出来事。きっとそういう事ってある。わたしにはある。
そう、だから、打ち明けられるのは、本当に信頼できる人だけだ。だって怖いもん。「ひかれないかな‥信じてくれるかな‥軽蔑されないかな‥こんな重い事話して、その人の負担にならないかな‥」
事件が起こった多くの場合、”真実”を聞く役目である警察官とか、取り調べの人(カウンセラーさんとか?)が、その本当に信頼できる人になり得ることって少ないんじゃないかな。
もちろん、警察とかその取り調べを批判したいわけではない。
単純にわたしがその立場になったと想像した時、「警察‥こわい。大人も怖い。取調室という環境も落ち着かない‥」と、ただただ恐怖感に襲われてしまいそうだなと思った。そして、ただでさえ勇気がいる”本当に苦しいことを打ち明ける”という行為ができるのかなと、とても疑問に感じた。
たとえ”信頼できるメディア”が報じている”1次情報”であっても、それが真実だとは限らないのかもしれないな、となんだかすごく考えさせられた。
きっと、真実(何をしたか、されたか、なぜそれをしたのか、されたのか、それに対してどう思ったのか)は、本当にほんとうに、その人にしか分からない。
本人と、本人がほんとに信頼できると思って打ち明けたその人だけ。
だから、報道されて世間で信じられている”事実”と、その当事者が抱えている”真実”に、大きな違いが生まれてしまうことがあるんだろうな。悲しい事だけど、世間の方が圧倒的マジョリティだから、そのマジョリティの”事実”に、”真実”は埋もれていってしまうこともきっと多々あるんだろうな。
はぁぁ。なんだかこう書いているとやっぱり暗くなっちゃうんだけど、だけどこの話は決して絶望で終わるものではない。
誰か一人でも、その当事者に寄り添って、”真実”を共有できる人がいますように。そうすることで、きっと救われることってたくさんある。
「誰が何と言おうと、わたしはあなたの語る真実が、私にとっての真実だよ。」
もしも私の周りにも、そんな事実と真実の違いで苦しむ人がいたら、こんな言葉をかけられる人でいたいな。そう心から思った。
更紗と文の幸せを、ただただ心から祈りたくなる、そんなお話でした。
読み終わったあとに、ふと見た本のカバー写真のアイスクリーム。なんだか切なくなるなぁ‥。
凪良ゆうさんの他の作品も読んでみたい!と思わせてくるくらいには、おもしろい本でした。また読むど~!
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